フアン・サンチェス・コターン
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サンチェス・コターンはトレド近郊のオルガスで生まれた。ブラス・デ・プラドとは友人で、もしかしたら弟子だったのかも知れない。プラドは、写実的な筆致にマニエリスム表現が見られる静物画で有名な画家だったが、サンチェス・コターンはそれをさらに進化させている。サンチェス・コターンは最初、祭壇の絵や宗教作品を書いていた。それから約20年間、トレドの上流階級の後援を受け、宗教を題材にした作品や、肖像画、静物画などを描いて生計を立て続けた。これらの絵はトレドの知識人の中に理解者を得た。サンチェス・コターンは世俗的な生活を終える前、17世紀の変わり目に、注目に値する静物画を数枚描いた。その中の一つが、『マルメロ、キャベツ、メロン、キューリのある静物』(1602年)である。
1603年8月10日、40代になったサンチェス・コターンはトレドの仕事場をたたみ、サンタ・マリア・デ・エル・パウラールのカルトジオ会修道院に入った[1]。しかし、絵は続け、神秘主義的な宗教画を描いた。常に人に優しい、物欲のない質素で慎み深い性格であったという。1612年、彼はグラナダのカルトゥハ修道院に派遣され、そこで修道士になろうと決め、翌年、助修士としてカルトゥハ修道院に入った。以上の動機ははっきりしていないが、その時代にはよくあることだった。
サンチェス・コターンはたくさんの宗教画を描いたが、それはもっぱら所属する修道院への義務を果たすためで、そのピークは1615年にきた。カルトゥハ修道院の回廊の8つの素晴らしい連作画を描いたのもこの年である。この連作画は聖ブルーノによる修道会設立と、イングランドでのプロテスタントによる修道士弾圧を描いたものである。
彼の宗教画は古めかしい雰囲気であるが、光と量感の処理に格別な関心を持っていたのは明らかで、サンチェス・コターンがエル・エスコリアルで会ったことのあるイタリア人画家ルカ・カンビアーソの若干の作品に匹敵する。とはいえ、宗教画家として、サンチェス・コターンはさほど有名でない。しかし、静物画家としては、彼の名前はヨーロッパの絵画の偉大な人物と列されている。
サンチェス・コタンが捨てた俗世では、なおサンチェス・コタンの影響が強く残っていた。光と影の表現で、オブジェ間での関係性と現実の中の幻想を描こうとする彼の姿勢は、フアン・バン・デル・アメン、フェリペ・ラミレス、ヴィンチェンツォ・カルドゥッチおよびバルトロメーオ・カルドゥッチ兄弟、さらにフランシスコ・デ・スルバランといった後のスペイン画家たちの作品に強い影響を与えた。サンチェス・コターンは生涯を通じて、あまねく愛され、また聖人として尊敬された。1627年、グラナダで死去。

