フィリップ2世・ド・クロイ
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フィリップ2世は有力貴族のクロイ家の出身で、アンリ・ド・クロイとシャルロット・ド・シャトーブリアンの長男である[1]。祖父はフィリップ1世・ド・クロイ、叔父はカール5世の主任傅育係兼侍従長ギヨーム2世・ド・クロイ、弟はトレド大司教ギヨームおよびカンブレー司教ロベールである。
フィリップ2世・ド・クロイは1514年に父が死去するとポルシアン伯位を継承した。1521年に叔父ギヨーム2世の爵位であるソリア公位およびアルキ公位、ボーモン伯位を継承した。
叔父と同様に、フィリップ2世もエノー総督をつとめ、金羊毛騎士団の上級騎士であったが、最も有名であったのはカール5世の将軍としてである。フィリップ2世は第三次イタリア戦争でフランス軍と戦い、トゥルネーの征服(1521年)で重要な役割を果たした[2]。
1533年4月1日、カール5世はフィリップ2世(「我々のいとこ」と称した)をアールスコート公[3]およびスペインのグランデとした。それ以前に、フィリップ2世はレンティ侯となり、ロレーヌのロンウィの領主権を、後に子孫が本拠地として発展させることになるアーヴルの領主権と交換した。