フィルマン・ディド
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フィルマン・ディド | |
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フィルマン・ディドの肖像(シャルル=アレクサンドル・ドゥバック作、1823年) | |
| 生誕 |
1764年4月14日 |
| 死没 |
1836年4月24日(72歳没) |
| 職業 | 印刷業者、出版者、活字制作者、翻訳家、政治家 |
| 子供 | アンブロワーズ・フィルマン・ディド、ヤサント・フィルマン・ディド |
| 親戚 | ピエール・ディド(兄) |
| 受賞 | レジオンドヌール勲章シュヴァリエ(1819年) |
フィルマン・ディド(Firmin Didot、フランス語発音:[fiʁmɛ̃ dido]、1764年4月14日 - 1836年4月24日)は、フランスの印刷業者、出版者、活字制作者、翻訳家、政治家。18世紀に名声を確立したディド家の中でも、とりわけ著名な人物の一人である。
フィルマン・ディドは、フランソワ=アンブロワーズ・ディドの次男として、パリに生まれた。ディド一族は、印刷業者であったフランソワ・ディドを祖とする家系であり、フィルマンはその孫の一人にあたる。一家が経営していた製紙工場は、パリの南東約30kmに位置するエソンヌ県コルベイユ近郊にあり、同地は当時、有数の製紙工場地帯として知られていた。
業績
フィルマン・ディドは、兄のピエール・ディドとともに技術を磨き、特に彫版師・鋳造師として頭角を現した。1797年には、ステレオタイプ版(鉛版)を出版に本格的に導入したことで知られる[1]。この技術は、組まれた活字からページ全体を鋳造した金属版を作成し、それを用いて印刷を行うものである。
ただし、この工程自体はそれ以前にフランス革命期のアッシニア紙幣の印刷のために開発されており、フィルマンは1790年10月から兄とともに、その印刷に用いられる活字を担当していた[2]。ディドはこの工程を広範に活用し、安価な版を大量に刊行することで出版業界に大きな変革をもたらした。彼の工場は、多くの印刷業者が訪れる場所となった。
ディドがこの工程を最初に用いた出版物は、1795年に刊行されたジャン=フランソワ・カレの『対数表』であり、それまで達成が困難であった高い精度を実現した。彼はフランス、イギリス、イタリアの古典をステレオタイプ版で非常に安価に出版した[3]。兄弟が手がけた出版物の中でも、ポルトガル語による『カモンイス詩集』(1817年)や、『アンリアード』(1819年、四つ折り判)は特に著名である[1]。
1798年のフランス産業博覧会では、ピエールおよびフィルマン・ディド兄弟と、ルイ・エティエンヌ・エルアンが、彼らの製造した活字とインクを用いた印刷物によって、最高賞である名誉賞を受賞した。受賞対象には、「ウェルギリウスの豪華版」、ステレオタイプ版、ならびに同一の活字で印刷されたウェルギリウスおよびラ・フォンテーヌの十二折判が含まれていた[4]。
フィルマン・ディドは文芸にも通じており、ウェルギリウスの『牧歌』(1806年)やテオクリトスの『牧歌』(1833年)の優れた韻文訳、三幕の悲劇『アンニバル』などを残している[1]。また美術への関心も深く、1810年にフランチェスコ・ピラネージが没すると、その全版画作品を買い取り、1835年に40部限定で出版した。
ナポレオンによって、ディドは帝国印刷局活字鋳造所の所長に任命された[5]。さらに1827年から1836年まで、ウール=エ=ロワール県選出の代議院議員を務め、七月王政下の内閣を支持する多数派に属し、出版業および報道の利益を擁護した。
フィルマン・ディドと兄弟が居住していた家は、アメリカ独立戦争を終結させた1783年のパリ条約が調印されたことで知られるヨーク館(Hôtel d'York)であった[6]。
後世への影響

ディド家一族は、18世紀から19世紀にかけてフランスおよび周辺諸国の印刷・出版文化に大きな影響を与えた。フランスでは『国民伝記』の出版事業を通じて国家的な出版文化の形成に寄与し、またベルギーにおいては王立印刷所の設立に関与するなど、その影響は国境を越えて及んだ。
フィルマン・ディドの親族には、フランソワ=アンブロワーズ・ディド(1730年 - 1804年)、ピエール=フランソワ・ディド(1731年 - 1795年)、アンリ・ディド(1765年 - 1862年)、ピエール・ディド(1760年 - 1853年)など、印刷・出版分野で重要な役割を果たした人物が含まれる。
1852年には、ディド家関係者によって『印刷術に関する試論』がパリで出版され、同家の技術的・理論的遺産が後世に伝えられた。
フィルマン・ディドは、イタリアのジャンバティスタ・ボドニと並び、「ディドニ(Didone)」あるいは「モダン」と呼ばれる様式のセリフ書体を確立した人物として知られている。ディドの活字は、太い線と細い線の極端なコントラスト、ヘアライン・セリフの使用、そして文字の垂直的な重心を特徴とする。
今日では、フィルマン・ディドの書体に基づく多くのフォントが制作・利用されており、それらは一般に「Didot(ディド)」の名で呼ばれている。
なお、メニル=シュル=レストレに所在したフィルマン・ディド印刷所の後身は、現在CPIグループの傘下に入っている。