フェデリコ・カプリッリ
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1868年4月8日、リヴォルノ県で生まれる。1881年にフィレンツェ陸軍幼年学校に入隊、 1886年にモデナの陸軍士官学校騎兵科入学。 彼は183cmの長身だったが胴長のため、当時は余り騎兵に適していないと評価されていた。 その後ピネロロ騎兵学校へ進学したが馬術のレベルは普通であり、むしろ体操と剣術において優秀であった。 1892年、トル・ディ・クィント分校の野外騎乗過程へ進学。1893年ローマの馬術大会で140cmを飛越して優勝。 この当時の障害は110~115cmであり、またローマの大障害競馬にもよく出場して何度か優勝した。
自然馬術の考案
カプリッリが考え出した乗り方や馬の調教法はその名にちなんでカプリッリ方式、イタリア方式とも呼ばれ、
馬の自然な動きを尊重したことから自然馬術方式とも呼ばれている。
それまで各国の騎兵隊は馬場馬術の乗り方であった。
馬場馬術は王侯貴族が宮廷の中庭で人に見せるために行っていた踊りのような馬術で、
馬に要求する姿勢や運動内容は人工的なものであり、馬は不自然な体勢を強いられていた。
時の流れと共に騎兵の行動は高速で山野を駆け巡ることが多くなり、
馬場馬術の乗り方では人馬ともに疲労が大きく、別の乗り方を求める気運が高まりつつあった。
特にイタリアは馬産国ではなかったので馬の消耗を極力防ぐことが重要であった。
カプリッリは馬場馬術特有の馬の収縮、屈撓姿勢を廃止し、大勒をやめて水勒使用を基本とした。
そして馬の自然な運動態勢を最も尊重し、それに合わせる乗り方を始めた。
そして速歩、駈歩では前方騎座(坐骨に体重をおかない、いわゆるツーポイント)で乗ることとした。
これには馬の弱点である腰への負担をかけない為という大きな目的があった。この乗り方は新兵を教育するのにも最も簡単な方法であった。
カプリッリは装鞍した馬を自由に走らせたり、自由飛越をさせたりしてその動きや馬の心理もよく観察、研究した。 そして以下の点を調教の基本とした。
- 馬を馴教(色んな事物にならす)する時も恐がるものには無理に近づけず、
- 遠巻きに見せながら徐々にならすこと
- 障害飛越の訓練は馬が落ち着いた状態で行うこと
- 踏み切りには干渉せず馬に任せること(馬は飛ぶ前に自分で判断しているため)
- 簡単で程度の低いものを数多く飛ばせて馬に学習させ、自信を付けさせること
- 簡単な様式。例えば駈歩発進についても、速歩から駈歩に移行し易いのでそこから始める。
- 駈歩の手前が左右どちらかであっても良しとする。(その内馬が自分で出やすい方を覚えるため)
この障害飛越においてカプリッリは試行錯誤を繰り返し、上体を前傾して手綱を伸ばしてやることによって馬が楽に飛越できるようにした最初の人物である。 しかし彼はこのやり方を確立するまでに約400回も落馬をし、ある時は全治6ヶ月の大怪我をしたこともあると言われている。 カプリッリの努力により世界中の馬達が苦痛から救われ、騎手達もスムーズな飛越ができるようになった。
