フェリクス・ヴァンケル

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フェリクス・ヴァンケル(Felix Heinrich Wankel、1902年8月13日 - 1988年10月9日)は、ドイツ発明家ロータリーエンジンを発明したことで知られる。

フェリクス・ヴァンケル

履歴

ドイツ、バーデン大公国ラールドイツ語版英語版林務官の息子として生まれる。幼い頃から機械に興味を持っていたが、高等学校では商業を学ぶ。1921年に卒業し、19歳で就いた職業はハイデルベルグで科学書を出版する会社のセールスマンであった[1]

22歳で機械加工の工場を立ち上げ、シリンダー研削加工などを手掛ける傍ら、内燃機関の改良について考える。1924年には早くも回転ピストン機関の構想をスケッチとして残しているが、実現するまでの道のりはまだ遥かに遠かった[1]

1926年には高圧潤滑装置とシール機構の専門家となり、ピストンエンジンのシリンダのシールの改良に取り組んだ。1929年から1931年までロータリー弁のシールの実験と特許出願を行っている。1933年にはわずか1年足らずではあるが、ダイムラー・ベンツと手を組んでロータリーバルブやシールの研究を行っており、続いてBMWとも提携して研究を行った[2]。ヴァンケルエンジンとロータリー弁には回転体の気密と摺動の確保という要素技術が共通している。

ドイツ軍との仕事

1936年、ヴァンケルの業績を耳にしたドイツ航空省ベルリンドイツ航空研究所(DVL)に招聘を試みた。ベルリンに移りたくなかったヴァンケルはヘルマン・ゲーリングと交渉し、ボーデン湖リンダウにヴァンケル研究所(WVW)を設立。ドイツ空軍航空機用のダイムラー・ベンツ DB 601の吸排気弁をロータリー弁に変更した試作エンジンの開発を行った。また、ユンカースもヴァンケルのロータリー弁を使用し、コンパクトなバルブ機構を生かしてドイツ海軍魚雷用エンジンのユモKM8に採用したほか、アウトウニオンNSUとも契約を結んでいる[2]

ヴァンケル研究所は1945年の敗戦によって解体され、ヴァンケル自身は1946年まで連合国によって数ヶ月間フランスで投獄された[2]

戦後の研究再開

戦後、彼の研究結果は接収され、新規の研究も禁止されたが、1951年早くもリンダウに技術開発研究所(TES)を開設した。設立にあたってヴィルヘルム・ケプラーの援助を受けたという。ここでピストンリングの研究を行い、NSUはレース用オートバイのバルブ機構へのロータリー弁の採用で契約を締結。NSUとの関係を深めることになる[3]

NSUはヴァンケルの開発したトロコイド式ロータリーピストン型コンプレッサー過給機として使用し、1956年に1.6馬力の50ccエンジンから13馬力を引き出した。このエンジンを搭載したオートバイ「フライングハンモック」はレコードブレイカーとして時速195.2kmの速度記録を樹立した[3]

ヴァンケルエンジンの開発

ヴァンケル エンジン タイプ DKM54(1957年)

ヴァンケルはNSU用に開発していた圧縮機にキャブレター点火装置を取り付け、4サイクル機関を開発しようと考えた。そこでNSUの技術者の協力を仰ぎ、1954年に回転ピストン機関の共同研究契約を締結[4]。後にNSU-ヴァンケルエンジンと呼ばれる原動機の開発に着手した。最初の試作機は後年のものとは異なる自転ピストン機関のDKM54で、排気量は54㏄。内側のローターだけでなくハウジング(外ローター)も回転するものであった。このエンジンは1957年2月1日に初運転が行われた。[3][5]

1957年には125ccのDKM-125が製作されて、28.4馬力/17,000rpmを得るに至った。しかし、外ローターが回転する方式は構造が複雑になり、冷却面でも問題があった。そのため、NSUのバルター・フレーデ博士( Dr. Walter G. Froede)がハウジングを固定し内ローターだけが回転する公転ピストン機関を考案。この方式の新エンジン、KKM-125が試作された。続いて250ccのKKM-250が試作され、1959年から1960年にかけて1,000時間の耐久試験が実施された[6]

このKKM-250は四輪乗用車のNSU・プリンツに搭載されて公道での走行テストが行われた[7]。こうして1960年、公転ピストンエンジンがヴァンケル・エンジンと名付けられ世に発表された。

ライセンスの供与

ヴァンケルとNSUが開発したヴァンケル・エンジンはニュージャージー州のカーチス・ライトにライセンスが与えられた。試作機段階のヴァンケルロータリーは、エンジンシリンダー内部にできる「チャターマーク」と呼ばれる引っかき傷のような特殊な磨耗を解決できず、長時間運転すると壊れてしまう、実用上は不完全なエンジンであった。後に、NSUからこのエンジンの技術ライセンスを得たマツダがこの問題を解消し、ロータリーエンジンとしてマツダのコスモスポーツに初搭載された。

供与先
21.10.1958カーチス・ライトアメリカ制限無し、シリーズ無し
29.12.1960フィッテル&ザックス英語版西ドイツ産業用と船舶、0.5 - 30 PS
25.02.1961ヤンマーディーゼル日本ガソリンとディーゼルエンジン、1 - 100 PS、1 - 300 PS
27.02.1961東洋工業 (マツダ)日本ガソリン 1 - 200 PS 自動車
04.10.1961クロックナー・フンボルト・ドイツ英語版西ドイツディーゼルエンジン制限無し
26.10.1961ダイムラー・ベンツ西ドイツガソリン 50 PS 以上
30.10.1961MAN西ドイツディーゼルエンジン制限無し
02.11.1961クルップ西ドイツディーゼルエンジン制限無し
12.03.1964ダイムラー・ベンツ西ドイツディーゼルエンジン制限無し
15.04.1964アルファロメオイタリアガソリン 50 - 300 PS 乗用車用
17.02.1965ロールス・ロイスイギリスディーゼルとハイブリッド 100 - 850 PS
18.02.1965車両製造工業協会英語版東ドイツガソリン 0.5 - 25 PS and 50 - 150 PS
02.03.1965ポルシェ西ドイツガソリン 50 - 1000 PS
01.03.1966アウトボード・マリン英語版アメリカガソリン 50 - 400 PS
11.05.1967コモトール英語版ルクセンブルクガソリンとディーゼルエンジン 40 - 200 PS
12.09.1967グラウプナー西ドイツ0.1 - 3 PS 模型エンジン、生産は小川精機
28.08.1969Savkel Ltd.イスラエルガソリン 0.5 - 30 PS 産業用
01.10.1970日産自動車日本ガソリン 80 - 120 PS
10.11.1970ゼネラルモーターズアメリカ汎用、航空機用以外
24.11.1970スズキ日本ガソリン 20 - 60 PS オートバイ用
25.05.1971トヨタ日本ガソリン 75 - 150 PS
29.11.1971フォード・モーター西ドイツガソリン 80 - 200 PS (1974 quit)
25.07.1972バーミンガム・スモール・アームズイギリスガソリン 35 - 60 PS for motorcycle
29.09.1972ヤマハ発動機日本ガソリン 20 - 80 PS オートバイ用
04.10.1971川崎重工業日本ガソリン 20 - 80 PS オートバイ用
03.02.1973アメリカン・モーターズ (AMC) アメリカガソリン 20 - 200 PS

晩年

1969年ミュンヘン工科大学から名誉工学博士号を授与された[8]。晩年は動物の権利と動物実験に対して活動した。ハイデルベルクで86歳で死去した。

ハイデルベルクにあるヴァンケルの墓

脚注

参考文献

外部リンク

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