フェリックス・ルコント
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パリで生まれた。彫刻家のエティエンヌ・モーリス・ファルコネやルイ=クロード・ヴァセ(Louis-Claude Vassé)の弟子になり、1758年に王立絵画彫刻アカデミーのコンクール(ローマ賞)の彫刻部門で優勝し、「王立特待学生学校(École royale des élèves protégés)」に入学を許され、3年間学んだ後、ローマに留学し1761年から1768年まで滞在した。
パリに帰国した後、1771年に現在はルーブル美術館に収蔵されている「オイディプスとフォルバス(Œdipe et Phorbas)」を入会申請作品として制作し、王立絵画彫刻アカデミーの正会員として承認された[2]。
フランス革命を経て、1792年にアカデミーの代理教授の称号を得て、1794年から亡くなる1817年までの間、パリ国立高等美術学校となるアカデミーの美術学校の教授を務めた。弟子にはオーギュスト=フェリックス・フォルタン(Augustin-Félix Fortin: 1763-1832)やジュスタン=マリー・ルキアン(Justin-Marie Lequien: 1796-1881)らがいる。
1814年にパリで80歳で亡くなった。国立高等美術学校の教授の後任にはフランソワ・ジョゼフ・ボジオが就任した[3]。