フェルディナンド・ガッリ・ダ・ビビエーナ
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フェルディナンド・ガッリ・ダ・ビビエーナ | |
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| Ferdinando Galli da Bibbiena | |
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Giuseppe Antonio Caccioliによる肖像画 (1707) | |
| 生誕 |
1657年8月17日 ボローニャ |
| 死没 |
1743年1月3日(85歳没) ボローニャ |
フェルディナンド・ガッリ・ダ・ビビエーナ(Ferdinando Galli da Bibbiena、1657年8月18日 - 1743年1月3日[1][2])は、イタリアの画家、舞台美術家、建築家である[2][3]。父親のジョヴァンニ・マリア・ガッリ・ダ・ビビエーナ(Giovanni Maria Galli da Bibiena、1625-1665)に始まる芸術家の一族、「ガッリ=ビビエーナ家」の一人で、舞台芸術や建物の装飾画制作の仕事をした。
ボローニャで生まれた[1]。父親のジョヴァンニ・マリア・ガッリ・ダ・ビビエーナはトスカーナのアレッツォ県のビッビエーナの出身で、姓に出身地を付加して活動し[1]、子孫たちもそれにならった。弟のフランチェスコ・ガッリ・ダ・ビビエーナ(Francesco Galli da Bibbiena: 1659-1739)は建築家になった。
フェルディナンド・ガッリはカルロ・チニャーニに絵画を学び、ジュリオ・トローリ(Giulio Trogli)に建築を学んだ[1]。1676年から装飾家として活動し、弟のフランチェスコと共にミランドラやモデナ、ノヴェッラーラで何点かの壁画を制作したが、これらは現在は残されていない。1678年から1684年の間は、ボローニャのファントゥッツィ宮殿の舞踏室を装飾画を描いた。1685年から1708年まではチニャーニの推薦でパルマ公、ラヌッチョ2世・ファルネーゼのもとで働いた。
1708年に、後に神聖ローマ皇帝となるカール6世の結婚式の装飾の仕事のためにバルセロナに招かれた[1]。カール6世が1711年に即位した後、フェルディナンド・ガッリはウィーンに移り、宮廷の祝祭やオペラ公演のための舞台美術に取り組んだ。
1717年、眼の病気のためにボローニャに戻り、ボローニャの公共施設や宮殿や教会の施設の設計など建築の仕事を行った。
1743年にボローニャで亡くなった。