フェルディナンド・ゴンザーガ
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別号
枢機卿(1607年 - 1615年)
| フェルディナンド・ゴンザーガ Ferdinando Gonzaga | |
|---|---|
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マントヴァ公 モンフェッラート侯 | |
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| 在位 | 1612年12月22日 - 1626年10月29日 |
| 別号 | 枢機卿(1607年 - 1615年) |
| 出生 |
1587年4月26日 |
| 死去 |
1626年10月29日(39歳没) |
| 埋葬 |
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| 配偶者 | カミッラ・ファア・ディ・ブルーノ(貴賤結婚) |
| カテリーナ・デ・メディチ | |
| 子女 | フランチェスコ・ジャチント・テオドーロ・ジョヴァンニ |
| 家名 | ゴンザーガ家 |
| 父親 | ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ |
| 母親 | エレオノーラ・デ・メディチ |
フェルディナンド・ゴンザーガ(Ferdinando Gonzaga, 1587年4月26日 - 1626年10月29日)は、マントヴァ公およびモンフェッラート侯(在位:1612年 - 1626年)。

フェルディナンドはヴィンチェンツォ1世とエレオノーラ・デ・メディチの息子としてマントヴァで生まれた[1]。
1607年12月10日、フェルディナンドは20歳で教皇パウルス5世から枢機卿に任命された。1612年、兄のフランチェスコ4世が男子の後継者を残さずに亡くなった数年後、1615年11月16日に聖職を辞し、兄の跡を継いでマントヴァ公国とモンフェッラート公国を継承した。
1616年、カミッラ・ファア・ディ・ブルーノと密かに結婚したが、同年に離婚した。二人の息子であるフランチェスコ・ジャチント・テオドーロ・ジョヴァンニ・ゴンザーガは宮廷に受け入れられたものの、フェルディナンドの跡継ぎにはなれなかった。1630年のマントヴァ包囲戦の最中、14歳でペストにより亡くなった[2] 。
1617年2月16日、フェルディナンドはトスカーナ大公フェルディナンド1世の娘カテリーナ・デ・メディチ(1593年 - 1629年)と結婚した。二人の間には子はなかった[1]。
フェルディナンドは1626年に死去し、弟のヴィンチェンツォ2世が公国を継承した[1]。