キャピタン(英語版)からおよそ7マイル北東に位置するフォート・スタントンは西部開拓時代に設置された古い陸軍基地で、第二次世界大戦勃発後はドイツ人・日本人用の収容所が設置されていた。脱走した4人を含むドイツ人収容者の大多数は、1939年12月19日にバージニア州沖400マイルの地点で自沈した遠洋定期船SSコロンブス(英語版)の乗組員だった。フォート・スタントンの収容所は元々SSコロンブスの乗員400人を収容するために設置されたもので、戦時中のアメリカにおいて初めて設置された民間人用収容所でもあった。警備を担当していたのは陸軍ではなく国境警備隊(英語版)だった。フォート・スタントンがドイツ人収容所に選ばれたのは、基地内にかつて市民保全部隊用に建設された建物が残されており、収容所への転換が容易と思われたことのほか、病院が近かったこと、付近に親ナチ的運動が一切存在しない孤立した地域であることなどによる[2][3]。
1941年1月、最初のドイツ人収容者がフォート・スタントンに到着した。この時点で収容所は設営途中だったため、ドイツ人らは最初の仕事として宿舎の建設を行った。最終的に宿舎4つ、台所、食堂、洗濯室、便所、浴場、売店、士官宿舎、診療所がドイツ人たちの手で設置された。そのほかに農場やレクレーションホール、地元住民との「ミニ・オリンピック」も開かれたスイミングプールなども設置されていた[2][3]。
当初、収容所の環境は刑務所よりも小さな町に近かった。アメリカとドイツが戦争状態になかったため、ドイツ人収容者らは多くの自由が認められていた。しかし、1941年12月9日に総統アドルフ・ヒトラーが対米宣戦布告を行った後、それまで許可されていたキャピタンへの外出やハイキングなどが禁止された。ドイツ人収容者らの扱いは「遭難した船員」から「敵性外国人」へと切り替わり、帰国するには終戦を待たなければならなくなった。監視塔や鉄条網なども新たに設置された[2]。