フォード・フリック
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野球記者として名声を得た後に、MLBのナショナルリーグ会長を歴任したあと、ハッピー・チャンドラーの後任としてコミッショナーに就任した。1970年にアメリカ野球殿堂入り。1978年から、メジャーリーグの報道・放送方面で功績のあった人物をたたえる『フォード・C・フリック賞(Ford C. Frick Award)』が創設されている。
また,1947年4月10日にブルックリン・ドジャース傘下の3Aに所属し、後に黒人初のメジャーリーガーとなるジャッキー・ロビンソンがメジャーに初昇格した際、ドジャースを除く全球団が反発し、一部の球団が「黒人を試合に出すなら、試合を放棄する」とドジャースを脅迫する事態となった。その中でフリックはナショナルリーグ会長としてコミッショナーのチャンドラーと共に「人種のみの問題で対戦を放棄したチーム及び選手には出場停止処分を科す」と強い態度で臨むことで沈静化を図った。この働き掛けがあって4月15日にロビンソンは黒人初のメジャーリーガーとしての第一歩を踏み出すことができた。
