フランク・P・マホニー
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メルボルンでアイルランド出身の建築家とコーンウォール出身の母親の間に生まれた。10歳でシドニーに移り、建築事務所で製図工として働き始め、シドニーの美術学校(New South Wales Academy of Art)でイタリア人の画家、ジュリオ・アニヴィッティ(Giulio Anivitti)から絵を学んだ[1]。 アンドリュー・ガラン(Andrew Garran)が編集して1886年に出版されたオーストラリアの風景画集「Picturesque Atlas of Australia」の作画者として雇われ、画家、イラストレーターとして働くようになった。
シドニーの有力な雑誌「The Bulletin」の挿絵画家になり、特に馬の描写に人気があった。月刊誌「The Antipodean」や「Australian Town and Country Journal」にも挿絵を描いた。詩人のBarcroft Boakeの詩集やヘンリー・ローソンの著作、Ethel Pedleyの子供向け書籍の挿絵を描いた[2]。油絵もある程度評価され、作品がニュー・サウス・ウェールズ州立美術館に買い上げられた[1]。1895年にシドニー美術協会の設立に貢献し、ニュー・サウス・ウェールズ美術協会で教師も務めた。1897年に結婚した。
1901年に家族とイギリスに移ったが、イギリスでは仕事の依頼は少なかった。1916年にロンドンで癌で死去した。