フランク・ドビアス
From Wikipedia, the free encyclopedia
(フランツ・アウグスト・ルドルフ・デ・サンティス・ドビアシュ)
1900年5月11日
Frank Dobias (フランク・ドビアス) | |
|---|---|
| 生誕 |
Franz August Rudolph de Santis Dobiáš (フランツ・アウグスト・ルドルフ・デ・サンティス・ドビアシュ) 1900年5月11日 |
| 死没 | 1976年1月10日(75歳没) |
| 国籍 |
|
| 代表作 | 『ちびくろサンボ』の挿絵(1927年) |
| 活動期間 | 1920年代 - 1940年代 |
フランク・ドビアス(Frank Dobias、本名フランツ・アウグスト・ルドルフ・デ・サンティス・ドビアシュ、Franz August Rudolph de Santis Dobiáš、1900年5月11日 - 1976年1月10日)は、オーストリア出身の画家・イラストレーター。日本においては、岩波書店版の『ちびくろサンボ(邦題は『ちびくろ・さんぼ』)』のイラストレーターとして知られている。
オーストリア=ハンガリー帝国のグロッグニッツ(現・ニーダーエスターライヒ州)で、ボヘミア出身のフランツ・ドビアシュとイタリア貴族の血を引くアンナ・マリア・カタリーナ・フォンディの間に生まれる。祖父は建築家、父や叔父も副業で絵を描いていたという[1]。 ウィーンの工芸学校(Kunstgewerbeschule、現・ウィーン応用美術大学)と、帝国美術アカデミー(Kunst Akademie、現在・ウィーン美術アカデミー)でデザインや舞台芸術を学び、画家のフランツ・チゼックやアルフレート・ロラーたちの薫陶を受ける[1]。16歳のときに自身の手掛けた舞台芸術のデザインがコンペで優勝するなど、早くから才能を認められ、ハンブルクやベルリンの劇場でも舞台美術家・衣裳デザイナーとして働き始める[1]。その後、イラストレーターとしても活動し始め、その傍ら、フェンシングなどの特技を活かして友人と共に道化師としてヨーロッパ各国でサーカスの興行ツアーも行う[1]。 1924年頃、アメリカ合衆国に移住し、アメリカ国籍を取得。ペンシルヴァニア州に居住してからは、絵本や児童文学などを中心に挿絵画家・イラストレーターとしての活動に専念。
日本における代表作である『ちびくろサンボ』の挿絵も、1927年にニューヨークの出版社であるマクミラン出版社の刊行する絵本のシリーズ「The Happy Hour Books」の一冊として本作が収められた際に手掛けたものであった。その後、1953年に岩波書店から「岩波のこどもの本」の一冊として刊行されるに当たり、翻訳者の光吉夏弥によって、レイアウトなどを一部改変された上で採用された。
その後、1940年代を最後に第一線から引退していたこともあって、岩波版『ちびくろ・さんぼ』が出版された1953年の時点では物故している可能性も長らく浮上していた。死亡説を唱えていた守一雄は、その理由の一つとして、岩波版にて第2話として収録された「さんぼとふたごたち(Sambo and the Twins)」の挿絵が、ドビアスではなく岡部冬彦が担当していることを挙げている。実際、岡部は挿絵を手掛けるに当たって、岩波書店からの要請を受けてドビアスの画風を緻密に再現していたが、ドビアス本人からの苦情や抗議がなかった理由として、出版時点で既にドビアスが死去している可能性を推測していた[2]。
『Contemporary illustrators of children's books』によると、『革脚絆物語』シリーズ、『シートン動物記』、『ハックルベリー・フィンの冒険』を愛読していたという[1]。