フランシス・アーサー・サットン

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死没 1944年10月22日(1944-10-22)(60歳没)
War flag of the Imperial Japanese Army (1868–1945)香港赤柱抑留所
職業 土木技師、冒険家
Francis Arthur Sutton
Major General F. A. Sutton
生誕 (1884-02-14) 1884年2月14日
イギリスの旗イギリス帝国イングランドの旗イングランド
死没 1944年10月22日(1944-10-22)(60歳没)
War flag of the Imperial Japanese Army (1868–1945)香港赤柱抑留所
教育 イートン・カレッジ
ロンドン大学
職業 土木技師、冒険家
配偶者 Carina Descou Chester Sutton
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フランシス・アーサー・サットン MC英語: Major General Francis Arthur Sutton1884年2月14日1944年10月22日)は、イギリス冒険家である。ガリポリの戦い手榴弾によって片腕を失ったことから「隻腕のサットン(One Arm Sutton)」の異名で知られており、ガリポリでの戦功によりミリタリー・クロス(Military Cross)を授与された[1][2]

イートン・カレッジ出身のサットンは、ロンドン大学で2年間工学を学んだ後、1906年以降はアルゼンチンメキシコアメリカ合衆国土木技師として働いた。

第一次世界大戦中、サットンは王立工兵隊に所属していた[3]。戦後はメキシコとアルゼンチンで鉄道建設に従事し、またシベリア朝鮮で金の採掘にも携わった。

サットンは中国へ渡り、ストークス・モーターの製造権を購入して各地の軍閥に提供した[4]。彼は張作霖の下で少将の地位に就き、奉天では、世界一周ドライブの途中で戦争地帯を通過していたアロハ・ベイカー英語版一行を歓待した[5]

第二次世界大戦中、彼は香港で抑留され[6]、赤痢により赤柱抑留所にて亡くなった[7][8][9]

脚注

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