フランシス・ニーダム (第4代キルモリー伯爵)
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第3代キルモリー伯爵フランシス・ニーダムと妻エレン・コンスタンス(Ellen Constance、1920年4月25日没、エドワード・ホームズ・バルドックの娘)の息子として、1883年11月26日にアイズルワースのゴードン・ハウス(Gordon House)で生まれた[3]。1897年から1899年までイートン・カレッジで教育を受けた[3]。
1901年3月25日にキングス・シュロップシャー軽歩兵連隊第3大隊(民兵大隊)に少尉として入隊した[4]。1902年2月26日、中尉に昇進した[5]。1902年3月15日、正規軍であるライフ・ガーズ第1連隊の少尉に転じた[6]。1904年2月4日に中尉[7]、1907年に大尉に昇進した後[3]、1911年5月10日に連隊から辞任[8]、6月21日に予備役に編入された[9]。第一次世界大戦では軍務に復帰して、1916年9月9日に臨時階級として少佐に昇進した[10]。1918年3月18日に再び予備役に編入され、臨時階級の効力もなくなった[11]。1918年9月2日にAdjutantに任命された[12]。
1913年、ダウン県長官を務めた[3]。このほか、1923年までにダウン県の副統監に任命された[13]。
1915年7月28日に父が死去すると、キルモリー伯爵位を継承した[3]。1916年2月14日にアイルランド貴族代表議員に選出され、1961年に死去するまで務めた[14]。1936年1月1日、北アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[15]。1936年国王誕生日記念叙勲の一環として、1936年6月23日に大英帝国勲章オフィサーを授与された[16]。1937年7月9日にアルスター海軍次官に任命された[17]。1949年6月2日にダウン統監に任命され、1959年まで務めた[18]。
1961年1月11日に死去、弟フランシス・エドワードの息子フランシス・ジャック・リチャード・パトリックが爵位を継承した[2]。アイルランド貴族代表議員のうち最後まで存命だった人物であり、その死去をもって貴族院からアイルランド貴族代表議員がいなくなった[1]。
