フランソワ・ジラルドン
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フランス北部のトロワの鋳物職人の息子に生まれた。木工職人として働き始めたが、その技術をブルボン朝の重臣で、アカデミー・フランセーズの保護者であるピエール・セギエ(Pierre Séguier)に見いだされ、彫刻家のフランソワ・アンギエ(François Anguier)の工房で働くことになった。1848年から1850年の間はローマで修行した[1]。ローマではジャン・ロレンツォ・ベルニーニに出会い、ベルニーニが代表するバロック彫刻を知るが、むしろローマの古代彫刻や古典主義のスタイルに向かった。
1650年にフランスに戻り、王立絵画彫刻アカデミーを設立した宮廷画家のシャルル・ルブランを中心とする芸術家グループの一員となった。またヴェルサイユ宮殿の庭園のデザイナーに就任したアンドレ・ル・ノートルとも働いた。ヴェルサイユ宮殿の庭園には、他の彫刻家と共作の『ニンフにかしずかれるアポロン』を制作し、主要な4体の彫像を制作した。また『サトゥルヌスの泉水』なども制作した。
宮廷での芸術家としての地位を高め1657年に王立絵画彫刻アカデミーの会員になり、1674年に学長補佐になり、教授の称号を得た。1690年にルブランが亡くなった後、宮廷が注文する彫刻作品の監督を行う地位に就いた[1]。
1715年に国王ルイ14世が亡くなったのと同じ日にパリで没した。