フランツ・イッテンバッハ
From Wikipedia, the free encyclopedia
現在のノルトライン=ヴェストファーレン州のケーニヒスヴィンター(Königswinter)で生まれた[1][2]。兄の商売を手伝った後、ケルンの画家フランツ・カッツ(Franz Katz: 1781-1851)に学んだ。1831年の12月にデュッセルドルフ美術アカデミーに入学し、ハインリヒ・クリストフ・コルベ、テオドール・ヒルデブラントや校長のフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーらに学んだ。
1839年にシャドーと学生のカール・ミュラー(1818-1893)とともにフレスコ画の技術を学ぶためにイタリアに旅し、イッテンバッハは1842年4月まで滞在した。ナザレ派の画家のヨハン・フリードリヒ・オーファーベック(1789-1869)を中心とする画家たちと働き、ローマで活動するドイツ語圏の芸術家集団「 Ponte-Molle-Gesellschaft 」の中で活動した[3] 。ドイツに戻るとミュンヘンの聖ボニファス修道院(Abtei St. Bonifaz)の装飾画制作にヨハン・フォン・シュラウドルフ(Johann von Schraudolph: 1808-1879)とハインリヒ・マリア・フォン・ヘス(1798-1863)のもとで働き、フレスコ画の技術を習得した。1844年から1850年の間、エルンスト・デーガー(Ernst Deger: 1809-1885)やアンドレアス・ミュラー(Andreas Müller: 1811-1890)カール・ミュラーとともに、レマーゲン(現ラインラント=プファルツ州)の聖アポリナリス教会(Apollinariskirche)の装飾画を制作した。
1847年に結婚し、1849年からはデュッセルドルフで暮らした[4] 。1849年から1965年の間はヨーゼフ・ヴィンターゲルスト(Josef Wintergerst: 1783-1867)やルドルフ・ヴィークマン(1804-1865)の助手としてデュッセルドルフ美術アカデミーの上級クラスで教えた。1859年からデュッセルドルフの美術家協会、「Malkasten」の会員になった。
ベルギーの画家、ヨゼフ・ヤンセンス(Jozef Janssens: 1854-1930)やオランダ生まれの画家ハインリック・ヨハン・ジンケル(Heinrich Johann Sinkel: 1835-1908)をプライベートで教えた。
1868年にウィーン美術アカデミーの名誉会員に選ばれた。1879年にデュッセルドルフで66歳で亡くなった[5][6][7] 。娘のヴィルヘルミーネ・イッテンバッハ(Wilhelmine Ittenbach; 1851-1891)は画家、イラストレーターになった。
