フリオ・レイ・パストール
From Wikipedia, the free encyclopedia
フリオ・レイ・パストール | |
|---|---|
| Julio Rey Pastor | |
|
| |
| 生誕 |
1888年8月14日 スペイン、ログローニョ |
| 死没 |
1962年2月21日(73歳没) アルゼンチン、ブエノスアイレス |
| 研究分野 | 数学 |
| 研究機関 | |
| 出身校 | マドリード・コンプルテンセ大学 |
| 博士課程指導教員 | |
| 博士課程指導学生 | |
| 主な業績 | La ciencia y la técnica en el descubrimiento de América |
| 主な受賞歴 | 賢王アルフォンソ10世勲章 |
| レアル・アカデミア・エスパニョーラF席 | |
| 任期 1954年4月1日 – 1962年2月21日 | |
| 前任者 | エミリオ・フェルナンデス・ガリアノ |
| 後任者 | マヌエル・アルコン |
| プロジェクト:人物伝 | |
フリオ・レイ・パストール[1](西: Julio Rey Pastor、1888年8月14日 – 1962年1月21日 )は、スペインの数学者、科学史家である。
ログローニョで、マラガ出身の軍人ホセ・レイ・カンカ (José Rey Canca) とログローニョ出身の教師フリア・パストール・バジェホ (Julia Pastor Vallejo) の間に生まれた[2]。兄弟に地理学者のアルフォンソ・レイ・パストールがいる。
ログローニョの Instituto Sagasta で学んだ。軍人を志望していたが試験に失敗したため、代わりにサラゴサ大学で精密科学を学んだ。また、解析幾何学・微分積分学の教授であったソエル・ガルシア・デ・ガルデアノを「現代数学の主導者」と呼んで師事した[3]。
1909年[4]あるいは1910年[5]、マドリード・コンプルテンセ大学(当時はマドリード大学)でエドゥアルド・トローハ・イ・カバレの下、博士号を取得した。1911年、オビエド大学で解析学の教授となった[5]。また、Junta para Ampliación de Estudios (JAE) から奨学金を受けて[6]、1911年から1916年まで[5]ベルリン大学にて、フェリックス・クラインのもとで学んだ。シュヴァルツ、ショットキー、フロベニウスにも教えを受けた[4]。
JAEに送られたレイ・パストールのドイツ留学の報告によれば、レイ・パストールはシュヴァルツの解析関数と総合幾何学の講演をとりわけ好んだ[4]。レイ・パストールは「学生の研究心を刺激するための数学セミナー」を開くことを提案し[4]、JAEによって1915年に Laboratorio y Seminario Matemático が開設された[2]。
研究所の創立によってスペインの数学者の協力が促進された。国立科学研究所の管轄にあったこの研究所は、最初に国立図書館の地下室、次にサンタテレサ通りのアパート、そして Centro de Estudios Históricos の建物に移り、最終的にスペイン科学研究高等会議 (CSIC) の傘下に入った[4]。1939年、ホルヘ・フアン数学研究所に継承され[2]、1982年に閉鎖した[7]。
1921年、レイ・パストールはアルゼンチンに移住した[8]。1936年、アルゼンチンで数学連合を設立し、1940年まで学会誌を主導した[9]。
1948年[2]あるいは1951年[4]、CSIC下のホルヘ・フアン数学研究所所長に任命された。スペインにおけるレイ・パストールの計画には、応用数学の研究所設立、大学における科学史セミナーの開催があった[4]。
1954年、グレゴリオ・マラニョンとフランシスコ・ハビエル・サンチェス・カントンの推薦によりレアル・アカデミア・エスパニョーラ (RAE) に入会し、言語の代数学について入会講義を行った[2][4]。1962年までRAEの議席を占めた。1959年、賢王アルフォンソ10世勲章を受章した[10]。
1956年に再びアルゼンチンに渡り、1961年6月21日、生徒シクスト・リオスがRAEに入会した際に帰国した。スピーチでは研究所設立の過程とJAEからの支援について語った。
没後
2000年、レイ・パストールの肖像が印刷された切手が発表された[11]。
ヒュー・パーシー・ウィルキンスとアントニ・パルジエ・イ・ボレルは月のクレーターファラデーGの名に「レイパストール」を提案したが、IAUはこれを却下した[12]。
著作

- Correspondencia de figuras elemental, con aplicación al estudio de las figuras que engendran (Thesis). 1910.
- Fondamentos de la geometría proyectiva superior. JAE. (1916)
- Introducción a la matemática superior. Madrid: Corona. (1916)
- Teoría de la representación conforme. Barcelona: Institut d’Estudis Catalans. (1917)
- Teoría geométrica de la polaridad en las figuras de las primera y segunda categorías. Madrid: Real Academia de Ciencias. (1929)
- “Un método de sumación de series”. Rendiconti del Circolo Matematico di Palermo 55: 450–5. (1931).
- La Ciencia y la Técnica en el Descubrimiento de América. Buenos Aires: Espasa-Calpe Argentina. (1945) [1942]
- Apuntes de la teoría de los conjuntos abstractos. Universidad Nacional de Cuyo. (1957) (レビュー : Alonzo Church (1963) Journal of Symbolic Logic 28(3) :250,1)
- J. Rey Pastor; A. de Castro Brzezicki (1958). Funciones de Bessel. Madrid: Editorial Dossat. MR0098203
- Julio Rey Pastor; Luis Santaló; Manuel Balanzat (1958). Geometría analítica. Kapelusz