フリッツ・タウロウ
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1847年、現オスロに当たるクリスチャニアで生まれた。父は裕福な薬剤師、ハラルド・タウロウ(1815-81年)。母はニコライン・ルイーズ・ムンク (Nicoline Louise Munch, 1821-94年)[1]。
1870年から1872年まで、コペンハーゲンの美術学校で学び、1873年から1875年まで、ドイツ・カールスルーエのバーデン美術学校で画家ハンス・ギューデ(Hans Gude)に師事した。その後、パリで3年を過ごし、そこで学んでいた北欧出身の画家たちと親交を深めた[1]。
1879年、友人の画家クリスチャン・クローグとともに、ユトランド半島のスカーゲンを訪れ、漁師や船を多く描いた[2][3]。
1880年、ノルウェーに帰国すると、クリスチャン・クローグ、エーリック・ヴァーレンショルドとともに、新進気鋭の画家として活躍した。1882年の芸術家秋季展(1884年から官立秋季展)設立にも貢献した。1883年には、モードゥムで若い画家を集めて野外アカデミーを開いた。タウロウの風景画は、オースゴールストランで描かれたものが多く、同地は、1880年代以降、多くの画家・芸術家が集まる町となった。そのほか、1885年までの間、クラーゲリョー、パリ、コペンハーゲン、スコットランド、ヴェネツィアなど各地を訪れている。その後は、主にノルウェー各地で風景画を描いた[1]。
1892年、フランスに移ったが、パリの街は肌に合わず、モントルイユ(1892-94年)、ディエップとその周辺の村(1894-98年)、ブルターニュのカンペルレ(1901年)、コレーズ県ボーリュー=シュル=ドルドーニュ(1903年)などの小さな町を巡りながら制作を続けた[1]。ディエップでは、オーブリー・ビアズリーと親交を持った。
1905年、ノルウェー政府から聖オラヴ章を受章。フランス政府からはレジオンドヌール勲章、イタリア政府からは聖マウリッツィオ・ラザロ勲章、チュニジア政府からも栄誉章を受章している。
1906年、オランダのフォレンダム(エダム=フォレンダム自治体の町)で死去した。