フレデリクスハムンの和約
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内容
概要
オーランド諸島を含むフィンランドの割譲は、スウェーデンにとって過酷な和平であった。なぜなら、フィンランドは600年に渡って「スウェーデン=フィンランド」として完全にスウェーデン王国の一部であり、その中央部、すなわち歴史的地方区分でのノールランドの分割をも意味していたからである。アレクサンドル1世は、皇太孫時代に勃発したフィンランド戦争の最中にフィンランドで起きた「アニアーラ事件」にヒントを得て、この分割を後に思い付いたとされる。スウェーデンに対するこの過酷な分割割譲は、すなわち「バルト帝国」の完結を意味したのである。
アレクサンドル1世はすでに1809年3月25日にフィンランドのポルヴォーで開かれた身分制議会(ポルヴォー議会)において、初代フィンランド大公として自ら就いた。アレクサンドル1世は、解放者としてフィンランドの外交権を除いた自治を認めたことで、スウェーデンとフィンランドの決別は必至となった。さらにフィンランドにおける「ハミナの和平」は、「フィンランド大公国」の成立と同じくした。一方、この戦争を指導したスウェーデン王グスタフ4世はすでに国王ではなかった。アレクサンドル1世がフィンランド大公に就いた1809年3月にクーデターにより廃位されていた。スウェーデンは、このクーデターによる臨時政府によって、本条約及びデンマークとのイェンシェーピングの和議、翌1810年にフランスとのパリ条約を締結している。
このフレデリクスハムンの和約の内容は、後にスウェーデン王太子となったベルナドットとの会談、さらにナポレオン戦争終結後に行われたウィーン会議によって正式に承認された。
