フレデリック・マーレット・ベル=スミス
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フレデリック・マーレット・ベル=スミス | |
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| Frederic Marlett Bell-Smith | |
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時期不詳の肖像写真 | |
| 生誕 |
1846年9月26日 イギリス、ロンドン |
| 死没 |
1923年6月23日(76歳没) カナダ、トロント |

フレデリック・マーレット・ベル=スミス(Frederic Marlett Bell-Smith、1846年9月26日 - 1923年6月23日)は、イギリス生まれで、1866年にカナダに移住した画家である。カナダのケベック州やアメリカのメイン州で風景を描き、ロッキー山脈やセルカーク山脈 (Selkirk Mountains) の風景を描いた作品などで知られている[1]。
ロンドンで生まれた。サウスケンジントン美術学校で絵を学んだ。1866年にイギリスからカナダへ移住し、1871年までモントリオールで画家や写真家として活動した後、トロントに移った。1870年代と1880年代は、トロントやハミルトン、オンタリオ州のロンドンで絵を描き[2] 、美術教師としても働いた。1896年にはに移り、アカデミー・コラロッシで学んだ[3]。1871年にモントリオールの協会で結婚した。
1886年にカナダ太平洋鉄道の副社長のウィリアム・コーネリアス・ヴァン・ホーン (William Cornelius Van Horne) が、大陸横断旅行への関心を高めるためにカナダ西部の風景を描く画家に無料通行証を提供することを始めたので、ベル=スミスもカナディアン・ロッキー山脈を描く機会を得た。ベル=スミスの保守的なスタイルの風景画はカナダやイギリスで人気になり、しばしば西部地域の風景画を描いた。特にアルバータ州のレイク・ルイーズ周辺の美しい風景を描くために1900年代の初めには毎年カナダ西部へ旅した[4]。
1867年からトロントで設立構想が始まったカナダ芸術家協会 (Society of Canadian Artists) や、1872年に設立されたオンタリオ芸術家協会 (Ontario Society of Artists) の創設メンバーになり、1905年から1908年まで会長を務めた。1880年にカナダ王立美術アカデミー (Royal Canadian Academy of Arts) の創設メンバーとなり[2] 、1880年に準会員に選ばれ、1886年に正会員に選ばれた。トム・トムソンやエミリー・カー、グループ・オブ・セブンらの画家といったカナダの若い風景画家たちに影響を与えた。
イギリスの風景も描き、イギリスのヴィクトリア女王との会見も許された。
1923年にトロントの自宅の地下室で転倒し亡くなった。没後の1928年に、作品がカナダの10セント切手のデザインに採用された。