フレデリック・ヴィクター・ディキンズ
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ロンドン大学で医学を専攻し、1859年にイングランド王立外科医師会所属の医師となる[3]。1862年にイギリス海軍の船医となり、1864年10月から1866年2月まで横浜に駐在[3]。一旦帰国し、1867年にミドル・テンプルに入学し、1870年に法廷弁護士となる[3]。1871年に再来日し、英国領事裁判所で働く[3]。1872年のマリア・ルス号事件の際には、ペルー人船長の弁護を務めた[3]。1878年に体調を崩したため、翌1879年に妻と子供らとともに帰国[4]。1882年にロンドン大学の事務局長補佐となり、1896年に事務局長に昇格[3]。1901年の退官後は、ウィルトシャーの村で暮らし、1915年に亡くなった[3]。ブリストル大学の日本語講師でもあった[5]。晩年は日本のことに人生を捧げたことを後悔していたという[3]。
著書
- "Hyakunin Isshu(『百人一首』)" 1866年[6]
- "Chushingura, or The Royal League. a Japanese romance (『忠臣蔵』)" 1875年[4]
- "The Bamboo-Hewer's Story or The Tale of Taketori(『竹取物語』)" 1875年[4]
- "Fugaku Hiyaku-kei, Or, A Hundred Views of Fuji (Fusiyama)(『富嶽百景』)"[7]
- "Primitive and Medieval Japanese Texts"1906年[4]
- "Hojoki:Notes from a Ten Feet Square Hut(『方丈記』)" 1921年 [8]
- 『パークス伝 日本駐在の日々』 高梨健吉訳(平凡社東洋文庫 1984年)、電子書籍も刊