1965年1月発売の「テル・ハー・ノー」がビルボード・Hot 100の6位を記録するものの[2][3]、ゾンビーズのその後のシングルはどれもヒットどころかチャートにすら入らなかった。1967年3月に発表したリトル・アンソニー&ザ・インペリアルズ(Little Anthony and the Imperials)のカバー「Goin' Out of My Head」もチャート入りを逃し、業を煮やしたグループはついにデッカ・レコードからCBSレコードに移籍する。
1967年6月1日からゾンビーズはEMIレコーディング・スタジオでアルバムの制作を開始。初日に録音したのがクリス・ホワイトが書いたこの「フレンズ・オブ・マイン」であった。
「彼女といると/話すことといったら君のことばかり/君がこんなこと言ってただとか/こんなことしてたとか/恋する二人/彼らは僕の友だちだ/彼らだけがもっているもの/それはふつうじゃ見つけられない」と歌うコリン・ブランストーンのリード・ボーカルの合間に、ロッド・アージェントとクリス・ホワイトはコーラスで男女の名前を連呼する。ジョイスとテリー。ポールとモリー。リズとブライアン。ジョイとデイヴィッド。キムとマギー。ジューンとダフィー。ジーンとジム。ジムとクリスティン。
名前はグループの周りにいた実際のカップルからとられた[4]。グループのギタリストのポール・アトキンソンと妻のモリー・モロイ、ロッド・アージェントのいとこのジム・ロッドフォードが登場する。リズ・エヴァンスとブライアン・ボールドウィンのカップルについては、ボールドウィンはコリン・ブランストーンと学校の同窓生で、ブランストーンは二人のベストマンを務めたことがあった。ホワイトは『モジョ』2008年2月号のインタビューでこう答えている。「悲しいことだけれど、あのカップルたちのほとんどは結局は別れてしまった。この世にもういない人もいる。でもジムとジーンは今もいっしょだよ。それからジムとクリスティンも」[4]
レコーディングでコリン・ブランストーンは歌い終えると思わず「アー」と言ってしまった。グループはこのアクシデントを面白いと感じ、そのまま残した。本作を「いささか甘い曲」だと考えていたブランストーンは、この間違いが皮肉として効くだろうと思ったとのちに述べている。
1967年9月22日、シングルA面として発売されるがまたもチャートには入らなかった。1968年4月19日発売のアルバム『オデッセイ・アンド・オラクル』に収録。
CBSレコードのプロデューサーだったアル・クーパーの進言により、アメリカでは1968年12月30日に『オデッセイ・アンド・オラクル』から「ふたりのシーズン」が再度シングルカットされた。再発時にB面は「I'll Call You Mine」から「フレンズ・オブ・マイン」に差し替えられた。「ふたりのシーズン」は翌1969年3月29日付けのビルボード・Hot 100で3位を記録し[8]、キャッシュボックスで1位、カナダで1位を記録するなど大ヒットとなった。