フロックコート
現代の「礼装」や「正装」と呼ばれる服の原型と呼ばれ、18世紀末から 19世紀途中までヨーロッパの男性が昼に着用した膝に届く長さのコート型フォーマルスーツ
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来歴
フロック(英:frock)は、古代北欧(ノルド)語「frokk」を語源に、フランス語「froque」を介して英語「frock」に定着した。古代ノルド語のfrokkは単に衣服、あるいはゆったりとした衣服を意味する語であり、フランス語では燕尾服のような裾(すそ)の短いものをフロック、長いものはredingote(乗馬服)と呼び区別する。この観点からも英語におけるフロックと「フロックコート」は実質的に別のものであり、英語史においてはフロックは百姓の着る麻製のゆったりとした裾(すそ)の短い衣服から紳士の着る上仕立ての衣服にまで襲用されており、共通するのは「身頃の余裕がある、ゆったりとした衣服」という点である。女性の場合はゆとりのあるワンピースなどに使用され、あるいはゆとりのあるスカート、子供用のスカートをフロックと呼称することがある。民俗品にしばしば見られるようにフロックコートに明確な定義があるわけではなく、大衆に親炙されるものがフロックコートの定義になる側面がある。明治期の和訳英辞林ではfrockを「襠(うちか)ケ。上ハ衣(ウハギ)。僧衣」と訳している[1]。現代主流の合成繊維とは違い、天然繊の多くは伸縮性に乏しく、激しい活動を前提とする軍服や作業服などにはフロックのような「ゆとり」を持たせた部位(襠、まち)が必須であった。
フロックコートに典型的に見られる、ダブルブレストの上着デザインの起源はポーランド軽騎兵・ウーランの服装であり、乗馬の際に風が入らないように前合わせがダブルで襟が高くなったと言われている。そして、これらの特徴を持った上着は18世紀には軍服として使われていた。
19世紀初頭、プロイセン軍のウーラン騎兵隊(隊員のほとんどがポーランド人であったことから、ウーランプルク (Ulan-Pulk) と呼ばれていた)の軍服であったダブルブレストで紺青色(プルシアンブルー)のコートが、男性の服装として地味な色彩が好まれていたイギリスにも広まった。軍服は立襟のままだったが、それ以外のものは背広襟となり、色は更に濃い色調の濃紺や黒のものが19世紀中頃には男性の昼間用礼装となった。
20世紀に入ると礼装はモーニングコートや燕尾服に取って代わられ、準礼装はグスタフ・シュトレーゼマンが執務服として導入したディレクターズスーツが広まり、民間では着られなくなった。各国軍隊では、第2次世界大戦頃まで正装・礼装として広く用いられ、現在でも一部の国で使用されている(軍服の項を参照)。また、海軍では背広襟のフロックコートが略装として採用され、それが紺色ダブルのブレザーとなったとも言われている。今日では新郎の父が着る場合がという古いしきたりがある[2]。
