フローレス (ペテン県)
グアテマラの都市
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地理・交通
フローレス島の中心部にはペテン県の県庁などの政府機関の建物、教会、広場がある。島は静かで、パステルカラーの建物が立ちならぶ[3]。
それに対してサンタ・エレナ側は商業の中心で、現代的な町である。東の郊外にムンド・マヤ国際空港があり、グアテマラシティやベリーズシティと結ばれている。この2都市とは長距離バスでも結ばれている。
ペテン県にはティカル、ワシャクトゥン、ヤシュハ、エル・ミラドールなどの有名なマヤ遺跡があり、フローレスは遺跡を訪れる人の出発地として使われる。
フローレス自身も本来はタヤサル(より正確にはノフペテン)というイツァ族の中心都市だったが、現在はすべて破壊されてしまい、歴史的に見るべきものは残っていない[3]。タヤサルという名前の考古学遺跡はあるが、フローレス島ではなく北隣のタヤサル半島に位置する。
中央広場には3つの石碑が置かれている。ひとつは東のイシュルの石碑2号(879年)、ひとつは楕円形のイシュル祭壇1号、ひとつはフローレス石碑1号(869年、道路の舗装に使われていた)である[4]。
サンタ・エレナ側の南にアクトゥン・カン(蛇の洞穴)という洞窟がある。
歴史
フローレス島にはかつてイツァ族のマヤ王国の首都であるタヤサル(ノフペテン)があった。
1525年、ホンジュラス遠征中のエルナン・コルテスの一行がタヤサルを通過し、カネク王に歓迎された[5]。16世紀にスペイン人はユカタン半島と高地マヤを征服したが、ペテン地方までは手が届かず、イツァ族は独立を保ち続けた。
17世紀になると宣教師が何回か布教を試みたが、成功しなかった[6]。ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアは1697年3月13日にタヤサルを軍事的に征服した[7]。
島はレメディオスと名づけられ、プレシディオ(要塞)が築かれた。スペインからの独立後、1831年に市制を敷くときに、殺された自由主義政治家シリロ・フローレスを記念してレメディオスからフローレスに改名された[8]。
