ブランコ・シカティック

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本名 ブラニミル・ツィカティッチ
(Branimir Cikatić)
通称 石の拳
クロアチアの英雄
ザ・クロアチアン・タイガー
身長 189cm
体重 98kg
ブランコ・シカティック
基本情報
本名 ブラニミル・ツィカティッチ
(Branimir Cikatić)
通称 石の拳
クロアチアの英雄
ザ・クロアチアン・タイガー
身長 189cm
体重 98kg
リーチ 190cm
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
誕生日 (1955-10-04) 1955年10月4日
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
スプリト
死没日 (2020-03-22) 2020年3月22日(64歳没)
死没地 クロアチアの旗 クロアチアソリン
所属 タイガージム
ドージョー・チャクリキ
スタイル テコンドー (黒帯)
松濤館流空手 (黒帯)
キックボクシング
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ブランコ・シカティック[1]セルビア・クロアチア語: Branko Cikatić, 1955年10月4日[2] - 2020年3月22日[2])は、クロアチアの元男性キックボクサースプリト出身[2]K-1 GRAND PRIX '93王者。

初代K-1 GRAND PRIX王者であり、「石の拳」と称された。右ストレート、右スイングフック、カウンター気味のショートの左フックを得意とし高いKO率を誇った。元軍人で、クロアチア紛争にも参加したという異色の経験を持つ。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国スプリトに生まれる。12歳からテコンドー、16歳から松濤館流空手を始め、18歳でキックボクシングに転向した。

1993年4月30日、K-1 GRAND PRIX '93に出場。既に37歳であったが、1回戦でチャンプア・ゲッソンリット、準決勝で佐竹雅昭、決勝ではアーネスト・ホーストをそれぞれKOで破り、初代K-1 GRAND PRIX王者となった。

1994年12月10日、K-1 LEGEND 乱で自身の引退試合(引退の理由は衰えなどではなく、当時のクロアチア独立戦争に参加するため)を行い、アーネスト・ホーストと1年8か月ぶりに再戦。KO勝ちで返り討ちにし、引退を飾った。また、シカティック本人が、自身のベストバウトとして、この試合を挙げている。引退後は予定通り、クロアチアの特殊コマンド部隊教官として、スポーツ選手で構成された部隊を率いて、戦場に出た。

1997年3月16日、K-1 KINGS '97で現役復帰し、ムサシ(武蔵)にKO勝ち。同年7月20日、K-1 DREAM '97でサム・グレコに生涯初のKO負け。この試合でシカティックは立ったまま失神。「チャクリキに痛いという感情はない」という自身の言葉を実証した形になった。

1997年9月7日、K-1 GRAND PRIX '97の1回戦でマイク・ベルナルドと対戦する。1ラウンド開始直後にお互いに打ち合いに行った際、ベルナルドとシカティックの額が当たり、そのままベルナルドの連打を浴びて倒れる。シカティックの額の傷の深さからドクターが試合を止めTKO負けとなった。

1997年10月11日、総合格闘技PRIDEに参戦。PRIDE.1でラルフ・ホワイトと対戦。グラウンド状態のホワイトにシカティックのキックが当たり、ノーコンテストとなった。

1998年3月15日、PRIDE.2マーク・ケアーと対戦。ケアーのタックルに倒されないようにロープ掴みを連発し、失格負け。ホイス・グレイシーの欠場による緊急参戦であった。

1999年9月12日、PRIDE.7モーリス・スミスと対戦。1R前腕チョーク(PRIDEの公式記録はギロチンチョーク)で一本負け。

2005年7月18日、WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!-で金山裕文と18オンスのグローブを使用して対戦し[3]、1-0の判定ドローとなった[4]

その後は母国クロアチアで警備会社「タイガー・シカティック」の代表取締役として、クロアチアの要人(大統領や大臣)の警護などを業務とする会社を経営していた。また、日本クロアチア協会の常任理事も務めていた。

2017年4月21日、来日、東京新宿でのドージョーチャクリキ主催のパーティーに参加。

2018年肺塞栓症敗血症のため入院。パーキンソン病も発症した。2020年3月22日にソリンの自宅で死去[2]65歳没

戦績

キックボクシング

  • 戦績 169戦 150勝 15敗 3分 138KO 1NC
  • K-1: 11戦 6勝 5敗 6KO
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
金山裕文2R終了 判定1-0WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!-2005年7月18日
ベンケイ佐藤1R KOThe Kakidamishi 11999年7月11日
ラルフ・ホワイト1R 1:52 ノーコンテスト(反則)PRIDE.11997年10月11日
×マイク・ベルナルド1R 0:38 TKO(ドクターストップ:額負傷)K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1997年9月7日
×サム・グレコ1R 2:58 TKO(3ノックダウン:右フック)K-1 DREAM '971997年7月20日
ムサシ(武蔵)4R 1:38 KO(右ストレート→タオル投入)K-1 KINGS '971997年3月16日
アーネスト・ホースト2R 1:18 KO(右ストレート)K-1 LEGEND 乱1994年12月10日
×スタン・ザ・マン5R終了 判定0-3K-1 REVENGE1994年9月18日
×佐竹雅昭3R終了 判定0-2K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 準決勝】
1994年4月30日
アンドレ・マナート2R 0:16 KO(右フック)K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 1回戦】
1994年4月30日
×アンディ・フグ5R終了 判定0-3K-1 CHALLENGE1994年3月4日
アーネスト・ホースト1R 2:49 KO(右ストレート)K-1 GRAND PRIX '93
【GRAND PRIX 決勝】
1993年4月30日
佐竹雅昭3R 0:45 KO(左フック)K-1 GRAND PRIX '93
【GRAND PRIX 準決勝】
1993年4月30日
チャンプア・ゲッソンリット1R 2:35 KO(右ストレート)K-1 GRAND PRIX '93
【GRAND PRIX 1回戦】
1993年4月30日
×スタン・ザ・マン12R終了 判定0-31992年6月
デニス・アレクシオ3R 1:25(テクニカルドロー)World Martial Arts Challenge1992年3月16日
Jean Atonga5R終了 判定3-0Muay Thai: World Title Fight1991年10月19日
アンドレ・マナート12R終了 判定3-01991年3月
Samir Usenagić5R終了 判定Kickboxing Prestige Fight1990年10月
カール・トンプソン5R終了 判定3-0Muay Thai: World Title Fight1989年12月16日
×アーネスト・ホースト4R 1:25 失格Muay Thai: World Title Fight1989年10月8日
×ドン・ウィルソン7R TKOKICK Association1987年12月12日
カール・トンプソン3R KOMuay Thai: World Title Fight1987年4月26日
×Vjekoslav Šafranić7R終了 判定Kickboxing Prestige Fight1983年
Jean Marc Tonus6R終了 判定3-01982年3月20日
レイ・マッカラム失格1981年11月

総合格闘技

総合格闘技 戦績
2 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
2 0 1 0 1
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
×モーリス・スミス1R 7:33 前腕チョークPRIDE.71999年9月12日
×マーク・ケアー1R 2:14 失格(ロープ掴み)PRIDE.21998年3月15日

獲得タイトル

  • アマチュア
    • 第3回WAKO欧州選手権大会フルコンタクト部門男子79kg未満級 優勝(1978年)[5]
    • 第4回WAKO欧州選手権大会キックボクシング部門男子79kg未満級 優勝(1980年)[6]
    • 第5回WAKO欧州選手権大会フルコンタクト部門男子79kg未満級 優勝(1981年)[7]
    • 第2回WAKO世界選手権大会フルコンタクト部門男子74kg未満級 3位(1979年)[8]
  • プロ

脚注

関連項目

外部リンク

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