父親がリングアナウンサーをしていた関係で、ジャイアント馬場がチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダを訪れたさい、父親がリングアナウンサーとして招聘、そのさい馬場から一緒に誘われ来日している[1]。
NWAの社長に就任後、タイガー服部を介し、新日本プロレスに挑戦状を送るという形で業務提携を行い[1]、出場する選手のマネージャーとして参戦。当初はただのマネージャーであったが、次第にパフォーマンスがエスカレート。「コンニチハー、ニホンジン!!ワタシハ、ナショナルレスリングアライアンスシャチョー、ブルース・サープデス!ワカリマスカ!!!」というマイクアピール、試合にもレフェリーの目を盗んで介入するなど、時には来日するレスラーよりも印象に残るパフォーマンスで日本のプロレスファンを楽しませている。
毎試合色違いのジャケットを着用しており、ファンの間ではこれも見どころの一つとなっている。