ブロッサム・ディアリー
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幼少期
1924年4月28日、ニューヨークの郊外イースト・ダーラムで、スコットランド系アイルランド人の父とノルウェー人の母の間に生まれた[2]。
子供の時はクラシック・ピアノを習っていたが、10代でジャズ・ピアノに転向する。 1940年代の中頃からウディ・ハーマン楽団やアルヴィノ・レイ楽団などの様々なコーラス・グループに参加[3]。また、カクテル・ピアニストとして、クラブやバーで歌ったりもしていた。
1952年に渡仏[3]。クリスチャンヌ・ルグランらとコーラスグループの「ザ・ブルー・スターズ」を結成。1954年、ブロッサムとミシェル・ルグランが編曲を手掛けたアルバム[4]「The Blue Stars」をバークレー・レコードに吹き込んだ。
1956年、初のリーダー・アルバム『Blossom Dearie Plays "April in Paris"』を録音。ただし、この作品では歌っておらず、ピアノのみで参加。 同年にアメリカへ帰国[2]、アルバム『ブロッサム・ディアリー』[5]を録音する。
1962年にはブロッサムがルートビアのCMソングを歌っていた[6]関係で、販売促進キャンペーンのためのアルバム[7]『シングス・ルーティン・ソングス』を制作[注釈 1][9]。
そのほか、1964年にはキャピトル・レコードからアルバム『メイ・アイ・カム・イン?』[10]をリリース。
1965年12月にロンドンへ渡ると、1966年から1970年にかけて英フォンタナ・レコードから4枚のアルバムを発表した[6]。
1970年代以降
1974年には兄ウォルター・バーチェットを社長に迎え自主レーベル、ダフォディル・レコードを設立。アメリカの子供向け教育番組『スクールハウス・ロック!』のサウンドトラックに参加[11]。ボブ・ドローが手がけた「Figure Eight」などの曲で歌声を披露した。
晩年は2006年まで、マンハッタンの「ダニーズ・スカイライト・ルーム」などでライブを行っていたが、2009年2月7日、老衰のためグリニッジ・ヴィレッジで死去[1]。