プラハ音楽院
チェコの音楽大学
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概要
歴史・沿革
プラハ音楽院は、1808年、地元貴族や市民階級によって創設された。ナポレオン戦争の影響で開学は遅れ、授業が開始されたのは1811年になってからだった。初代学長に指名されたのは ベドルジフ・ディヴィシュ・ヴェベルだった。
1891年、ドヴォルザーク が作曲科の学科長に就任、1901年から1904年までは学長をつとめた[1]。ドヴォルザークの指導を受けた学生には、 ヴィーチェスラフ・ノヴァーク、ヨセフ・スク(のちに学長となる)、ルドルフ・フリムル、オスカル・ネドバル、フランツ・レハールらがいる。また、この音楽院で教壇に立った指導者のなかには、のちに学長にもなったピアニストのヴィレーム・クルツらがいる。
主な卒業生
この音楽院で学んだ音楽家の中には、オタカール・シェフチーク、ヤン・クベリーク、ヴァーツラフ・ターリヒ、カレル・アンチェル、ラファエル・クーベリック、ヴィーチェスラフ・ノヴァーク、エウゲン・スホニュ、ボフスラフ・マルティヌー(中退)、ヤロスラフ・イェジェク、ヴァーツラフ・ノイマン、イルジー・ビエロフラーヴェク、フランツ・シマンドル、ヴァーツラフ・スメターチェクらがいる。
1918年のチェコスロバキア独立後、演劇学科とバレエ学科が設立された。そこで学んだ者の中には、リダ・バーロヴァ(中退)、イジー・ラングマイェル、タチアナ・ヴィルヘルモヴァー(中退)、フィリプ・ブラジェク、ズザナ・ヴェイヴォドヴァらがいる。