プレスブルクの和約
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概要
オーストリアは1805年にイギリスやロシアなどと第三次対仏大同盟を結成し、北イタリアやバイエルンへ侵攻したが、フランス皇帝ナポレオン1世の前にウルムの戦い(1805年9月25日 - 10月20日)とアウステルリッツの戦い(12月2日)で敗北した。12月4日に両国の間で休戦協定が結ばれ、以降、ナポレオン1世と神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)はプレスブルクで和平交渉に入った。
講和条約により、オーストリアはイタリア王国を承認するとともに、同国にヴェネツィアを割譲した。また、フランスにイストリアとダルマチアを、フランスの同盟国であったバイエルン、ヴュルテンベルク(翌年にそれぞれ選帝侯国から王国に昇格)、バーデン(翌年に選帝侯国から大公国に昇格)にチロル、コンスタンツ、ブライスガウなどのオーストリア領を割譲した。さらに、オーストリアはフランスに対して4,000万フランの賠償金を支払うことになった。