プレスライダー
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プレスライダーとは原稿輸送員とも呼ばれ、報道機関の依頼を受けて編集前の物資をオートバイを利用して輸送する職業[1]。
通常時の報道機関には締切が毎日あり、プレスライダーがその日々の締め切りに合わせて運ぶ物は基本的に「原稿」であるため、その仕事の失敗が、所属報道機関の関係者と利用者にとって「落ちる(特ダネの対義語にあたる、報道機関の失態を意味する言葉[2])」という事態を発生させる可能性があり、その仕事の中には、日付が変わった後の初詣の写真原稿(撮影済ネガフィルム)を、数時間後には日本中の各家庭に配られる1月1日の朝刊の印刷に間に合うように運ぶ、というような比較的困難なものもあった。
以上のような経緯により、バイク便や編集後の新聞や雑誌などをオートバイを利用して購読者に輸送する新聞配達などの職業は、以下ではプレスライダーとは呼ばない。

プレスライダーは主に、新聞社やテレビ局などに依頼された原稿(連載漫画のそれを含む。この場合は作家の自宅→新聞社となる)や写真フィルム、ビデオテープなどの編集前の素材を輸送する。日刊紙の他、競馬新聞なども利用していた[1]。
かつては、報道目的のテキストや画像、動画などは、原稿やフイルム、ビデオテープなどの現物を輸送するしか手段がなかった。その輸送手段としてオートバイが登場し、ヘリコプターなどと比べて手軽で、自動車や鉄道などと比べて早い手段として活用されるようになった。プレスライダーは、プレスライダーの証として、依頼を受けた報道機関の社旗をオートバイに掲げていることが多かった[1](取材用ハイヤーと同じで、守衛の検問も天下御免で通過出来るため)。その社旗ゆえに、他社の社旗を掲げるプレスライダーとの間では、熾烈な競争が繰り広げられたこともあった。[要検証]
雇用形態
歴史
黎明期
報道機関が原稿輸送にオートバイを使いはじめた当初から、プレスライダーには自社と外部の2通りがあった[4]。1924年(大正13年)、通信社時代の日本電報通信社には2台のオートバイ(インディアン)を保有していたが、新聞社は外部雇用が多かったという。この時代の新聞社は屋上に厩舎を設け、原稿輸送に伝書鳩を使用していたが、輸送重量に極端な制約があるため人力車やオートバイが併用された[4]。
衰退
オンラインによる送稿が可能となったことや、ファックス、インターネット、マイクロウェーブ中継などの技術革新により、現物を輸送する必要性は減退傾向にある。情報の大半が電子メール等で電子的に送受信できるようになるに従い、物理的に現物を輸送しなければならないものは激減し、業態の変化が生じている。
使用されたオートバイ
著名なプレスライダー経験者
- 片山信二 : オートバイレーサー。1986年の全日本ロードレース選手権250ccクラスチャンピオン[5]。
- 三好礼子 : エッセイスト。高校を卒業した1976年から7か月間、都内の新聞原稿輸送会社に勤務。持ち込みのスズキハスラーTS250で朝日新聞社のプレスライダーを務めていた[6]。