プロコピオス
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出自について
プロコピオスは東ローマ帝国において文武両官の高位を与えられてきた著名な家門プロコピア家(ローマ皇帝で後に「背教者」として知られるユリアヌスの母方の従兄プロコピウス(325年頃 - 366年。ウァレンス帝に対して反乱を起こして敗北、処刑)、子プロコピウス(365年 - 没年不明)、孫で422年から424年に東方軍区長官(magister militum per Orientem)を務めたプロコピウス、曾孫で西ローマ皇帝プロコピウス・アンテミウス(420年頃 - 472年)の4代直系とその子孫を輩出)に属する人物達と同じ名前を持っているが、後述する3つの著作以外、プロコピオスが家族など、私生活の面でどのような経緯を持つ人物だったかについては史料が無く、皆目見当がつかないというのが実情である。
因みに「プロコピウス(プロコピオス)」という名前に関係する人物で記録上最後に判明している人物は、プロコピオスの時代から約300年後の9世紀初めの東ローマ皇帝でニケフォロス朝の創始者ニケフォロス1世(760年 - 811年7月26日)の娘プロコピアで、ニケフォロス朝最後の皇帝でニケフォロス1世の娘婿ミカエル1世ランガベー(780年頃 - 844年1月11日)の妻となり、5人の子女を儲けている。「プロコピア」は「プロコピウス(プロコピオス)」の女性形となる。
プロコピオスの家系と皇帝ユリアヌスの母方従兄の家系4人、プロコピアの家系(ニケフォロス朝)それぞれが血縁・縁戚関係があるのか否かもはっきりせず、あったとしても続柄も不明である。