プロスペル・マリヤ
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ピュイ=ド=ドーム県のヴェルテゾンの商人の家に生まれた。若い頃から絵画を描いた。両親は食器の商売をすることを望んだが、有力者のバラント男爵から画家となること勧められて、1829年にパリに出てカミーユ・ロクプランの弟子になった。1831年には風景画をサロン・ド・パリに出展した[1]。
1831年の5月にオーストリアの外交官、探検家のカール・フォン・ヒューゲルのアジア、オーストラリアの博物学、民俗学探検のメンバーに選ばれた。エジプトのアレクサンドリアまで探検隊と同行したが、隊から離れ、1831年10月から1833年までエジプトに滞在した。この時多くのスケッチを残し、後に作品にした。1835年にはイタリアを旅し、1836年は南フランス(プロヴァンス)で過ごした。1837年から1841年まで毎年サロン・ド・パリに出展し、亡くなった1844年にも出展した。建築物の絵や風景画を得意としたが人物画も描いた[1][2]。