ヘイミッシュ・マッカン

From Wikipedia, the free encyclopedia

ヘイミッシュ・マッカン
Hamish MacCunn
基本情報
生誕 1868年3月22日
イギリスの旗 イギリス
スコットランドの旗 スコットランドグリーノック
死没 (1916-08-02) 1916年8月2日(48歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル クラシック
職業 作曲家指揮者、教育者
テンプレートを表示

ヘイミッシュ・マッカン: Hamish MacCunn, 1868年3月22日 - 1916年8月2日)は、スコットランド作曲家指揮者、教育者。

オペラやカンタータ序曲パートソング、器楽曲、歌曲などを作曲しており、いずれ作品でもスコットランドの様式が際立っている。ロンドンに居を構えつつも心からスコットランドの民謡を愛したマッカンは、生涯故郷の音楽と音楽界の第一人者であり続けた。

1868年にジェームズ・マッカン(James MacCunn)という名前でグリーノックに生まれた。[1]。父は船舶主であった。1883年に奨学金を獲得するとロンドンへ赴き[2]王立音楽大学に入学[1]ヒューバート・パリーチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードの下で学んだ[3]

1887年11月5日水晶宮で演奏された序曲『山と湖の国』で成功を収め[4]、この曲をもってマッカンの名は広く知られることになる。続けて発表された作品は、いずれもスコットランド風に色付けされたものだった。1888年から1894年にかけてマッカンは王立音楽大学の教授を務め[3][5]、そこで長きにわたるマーマデューク・バートンとの芸術的協力関係並びに親交を築いた。

1888年、何度か肖像画を描いてもらっていた画家のジョン・ペティの娘、アリソン・ペティ(Alison Pettie)と結婚[1]。1人の息子を儲けた。ジョンは音楽にも熱心で、マッカンがキャリアを積むべく自作を披露する演奏会を企画した際に助力を行っていた。こうしたことがきっかけとなり、カール・ローザからスコットランドの題材に基づくオペラの委嘱を取り付けることになる。マッカンのオペラ処女作となる『Jeanie Deans』では指揮者も務め、1894年11月15日エディンバラ王立ライシーアム劇場英語版で初演された[6]。オペラ『Diarmid』(Marquis of Lomeのリブレット)は1897年10月23日ロイヤル・オペラ・ハウスで上演された[7][8]。彼は数年間にわたってカール・ローザのオペラ興行会社で、その後は他の会社も指揮者を務めた[3]

しかし作曲、指揮、教職と、多忙を極めたスケジュールは次第に健康を蝕み、1916年に48歳の若さでこの世を去った。

主要作品

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI