ヘルマン・グラブナー

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1886-05-12) 1886年5月12日
死没 (1969-07-03) 1969年7月3日(83歳没)
ヘルマン・グラブナー
生誕 (1886-05-12) 1886年5月12日
出身地 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 グラーツ
死没 (1969-07-03) 1969年7月3日(83歳没)
学歴 グラーツ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家
担当楽器 ヴィオラ
テンプレートを表示

ヘルマン・グラブナードイツ語: Hermann Grabner1886年5月12日 - 1969年7月3日)はドイツ作曲家、教会音楽家、音楽理論家である。

幼少期から修学期

1886年、オーストリア=ハンガリー帝国グラーツで生まれた。当初は法律家となるキャリアを進み、1909年に法学博士号を取得。その後、グラーツ音楽院レオポルト・サクスラントドイツ語版の下でヴァイオリンヴィオラを中心に音楽を学び、劇場のオーケストラで代役ヴィオラ奏者として演奏した。1910年よりライプツィヒ音楽院にてマックス・レーガー[1]ハンス・ジットに師事。

音楽家として

1912年、マイニンゲン州立劇場英語版レーガーの助手を務めた。1913年、ストラスブール音楽院の音楽理論の教員となった。オーストリア軍に従軍した後、 1919年から1924年までマンハイム音楽大学ハイデルベルク音楽アカデミーで作曲と音楽理論を教えた。

その後再びライプツィヒ音楽院に戻り、リヒャルト・ゲーレドイツ語版フーゴー・ディストラーロージャ・ミクローシュなどの後進を育てた。1930年からは大学の音楽監督も務めた。1932年に教授昇格。1928年に結成された民族主義的で反ユダヤ主義のドイツ文化闘争同盟のメンバーであり、帝国音楽院の顧問であった。

そのため、第二次世界大戦後の1946年夏に大学を解雇。その後はフリーランスの作曲家として生活し、成人教育センターなどで教鞭を執った。非ナチ化終了後の1950年、ベルリン市立音楽院(西ドイツ)で教鞭を執り、その後引退。1969年、チロル地方での休暇中にイタリアボルツァーノで死去。

作曲作品・作風ほか

オルガン音楽、教会音楽そのほかで高名な存在だったが、現在は多くの作品が顧みられることもなく「機能和声学」の著者としてのみ知られている。日本では、シンフォニア社がAllgemeine Musiklehre[2]を出版している。

著書

和声学

  • Handbuch der funktionellen Harmonielehre
  • Regers Harmonik
  • Generalbassübungen
  • Die wichtigsten Regeln des funktionellen Tonsatzes. Eine Zusammenstellung sämtlicher, für den praktischen Harmonielehre-Unterricht aller Systeme geltenden Stimmführungsvorschriften

対位法

  • Anleitung zur Fugenkomposition
  • Der lineare Satz: Ein Lehrbuch des Kontrapunktes

楽曲分析

  • Lehrbuch der musikalischen Analyse

そのほか

  • Allgemeine Musiklehre
  • Die Kunst des Orgelbaues
  • Neue Gehörübung
  • Musikalische Werkbestrachtung

作品

参考文献

脚注

Related Articles

Wikiwand AI