ヘルマン・パウル
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(主に福本訳『言語史原理』の解説による)
パウルは現在のマクデブルクで生まれた。1866年にベルリン大学に入学、言語学・心理学者でヴィルヘルム・フォン・フンボルトの後継者であるハイマン・シュタインタールに師事し、その強い影響を受けた。翌年ライプツィヒ大学に転じ、ゲオルク・クルツィウスに学んだ。ライプツィヒでは後に「青年文法学派」と呼ばれるようになる多くの研究者と親交を結んだ。
1870年にライプツィヒ大学を卒業し、同大学の講師となったパウルは、ヴィルヘルム・ブラウネとともに1874年に学術雑誌『ドイツ語ドイツ文学史論究』(Beiträge zur Geschichte der deutschen Sprache und Literatur)を創刊した[1]。この雑誌はパウル・ブラウネ誌(Paul-Braune Beiträge, PBB)と通称され、現在も刊行されている。
1874年にはフライブルク大学のドイツ語学・文学の準教授に就任した(1877年に正教授)。フライブルク時代に『言語史原理』の初版、『中高ドイツ語文法』の初版を出版した。また『ゲルマン語文献学綱要』(Grundriss der germanischen Philologie)の編集を1888年から1893年まで行った。
1893年にはミュンヘン大学のドイツ語文献学教授に就任し、1913年に退官するまでこの職にあった。晩年には視力をほぼ失ったが、没する年まで著作活動をつづけた。