オランダ西部のウールデン(Woerden)で生まれた。芸術家の一族の出身で、曾祖父にルーカス・ファン・レイデン(1494‐1533)がいる。誰のもとで修行したかは不明であるがロッテルダムの画家、ウィレム・バイテウェッヘ(1591/1592-1624)の弟子であったという説もある。1623年にはパリに移り、最初の署名入りの作品を制作している。1629年にローマに移り、「Bentvueghels」と称したローマで活動するオランダやフランドル出身の画家達のなかで活動した。「Bentvueghels」では互いを仇名で呼び合ったので「Eremit(隠者のような意)」の仇名でよばれた[2]。風景画家として人気を得て、クロード・ロランやニコラ・プッサンらと共に、スペイン国王フェリペ4世のマドリード近郊の別荘、ブエン・レティーロ宮殿(Palacio del Buen Retiro)のための風景画の注文を受け、この時のファン・スワネフェルトの作品はプラド美術館に収蔵されている[3]
。1641年にパリに戻り、1644年にフランスの市民権を得て、宮廷画家になった。パリでは貴族の邸宅の装飾画も描いた。
1650年に結婚した。リシュリュー枢機卿やルイ14世の支援を受け、1651年には王立絵画彫刻アカデミーの会員に推薦され1653年に入会申請作品を提出し会員となった。晩年は版画制作を行い勅許を得て出版事業にも取り組んだ。1655年にパリで亡くなった。