ヘンリク・シェミラツキ
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略歴
現ウクライナ、ハルキウ州のペチェニヒ(Peczenihy)でポーランド貴族で帝政ロシア陸軍の将校の息子に生まれた[5][6] 。4歳の時、家族とともにハルキウへ移った。1860年からハリコフ大学で自然科学を学び[5][7]、昆虫学の論文を提出し1864年に卒業した。シェミラツキは生涯多くの蝶を収集した。在学中に、ハルキウの美術教師ドミトロ・ベズペルチ(Dmytro Bezperchy:1825-1913)と知り合い、訓練を受けた。
サンクトペテルブルクの帝国美術アカデミーで絵画の修行を続けた後、1870年にフランスとドイツを旅し、1871年にはミュンヘンに滞在してカール・フォン・ピロティの弟子となり、1872年からローマに住み、ローマ中心地にアトリエを開き、夏は現ポーランドのチェンストホヴァの邸で暮らした。
1873年に帝国美術アカデミーの会員に選ばれた。1878年のパリ万国博覧会で金メダルを受賞し、フランスからレジオンドヌール勲章を受章した。1876年から1879年の間は、モスクワの救世主ハリストス大聖堂の壁画制作などをした。
1893年頃、モスクワ国立歴史博物館の注文で2点の大作を制作した。1894年にはクラクフのユリウシュ・スウォヴァツキの劇場の緞帳の制作をした。
1902年に現ポーランド、ヴィエルコポルスカ県のストシャウクフ(Strzałków)で亡くなった。
作品
- 『キリストと罪人』(1875)
ロシア美術館 - 『ルテニア貴族の葬儀』(1884)
ロシア国立歴史博物館 - 『Christian Dirce (皇帝によるキリスト教徒迫害)』(1897)
ワルシャワ国立美術館 - 『聖マルタの家のキリスト』 (1886).
- 『キリストとサマリアの女』 (1890)
リヴィウ国立美術館