ルイスはバージニア州ウェストモアランド郡に生まれ、名門ルイス家に属した家系の出身で、後世の系譜資料ではジョージ・ワシントンの又甥として紹介される[2]。 1830年代にはすでにアメリカ合衆国海軍に所属していたとみられ、1842年の海軍将校名簿には「ヘンリー・H・ルイス(バージニア州)」として掲載され、チャールズ・ウィルクスの米国探検遠征隊に関連する士官の一人とされている。
1841年11月、ルイスはワシントンD.C.のオクタゴン・ハウスでアン・オグル・テイロー(テイロー家は大地主・政治家一族)と結婚し、首都社交界の一員となった[3]。 1840年代から1850年代にかけてはワシントン海軍工廠周辺に勤務していたことが複数の記録からうかがえ、1860年5月15日に万延元年遣米使節が工廠を訪れた際には、海軍側の中堅士官として公式写真に写っている。
南北戦争が勃発すると、バージニア出身のルイスは北軍を離れてアメリカ連合国海軍に加わり、1861年6月にはローリーズ・ポイント砲台の指揮官に任命されたと地元史に記される。また、フレデリックスバーグ周辺の防衛では「現地にいた最上級の南軍海軍士官として沿岸防衛を指揮した」とも伝えら、南軍海軍の河口・沿岸防衛で艦長として行動したことが確認できる。
戦後、ルイスのような元南軍士官には公職禁止措置が適用されたが、議会文書にはヘンリー・H・ルイスの政治的権利回復」に関する法案が見え、その対象となったことが知られる[4]。晩年はボルチモア周辺で暮らし、複数の資料では「元海軍大尉(Captain)」として紹介される。没年は1893年説と1898年説の揺れがあるが、最も整合的な史料では1893年3月17日没とされる。