ヘンリー・テイラー・テリー From Wikipedia, the free encyclopedia ヘンリー・テイラー・テリー(Henry Taylor Terry、1847年9月19日 - 1936年12月28日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したアメリカ合衆国の法律家である。 コネティカット州の生まれ。イェール大学で法学を学び卒業後、同大学の文学士となった。 1876年(明治9年)に日本政府の招きにより来日し、東京開成学校で法学の教鞭を執った。再度の帰国を挟み、1894年(明治27年)に再来日し以後1912年(明治45年)に辞職するまで東京帝国大学(現在の東京大学)で英米法の教鞭を執った。 1899年(明治32年)7月に、立教女学校(現・立教女学院)、立教学校(現・立教大学)で教員(英語、音楽)も務めた米国聖公会宣教師のエマ・フルベッキ(グイド・フルベッキの二女)と結婚した。 1912年(明治45年)7月、帰国に際して勲二等瑞宝章を受章した[1]。 脚注 ↑ 『新聞集成明治編年史 第14巻』(本邦書籍、1982年)p.582、明治45年7月6日付「東京朝日新聞」 出典 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『テリー』‐ コトバンク 世界大百科事典 第2版(平凡社)『テリー』‐ コトバンク 典拠管理データベース 全般 VIAF WorldCat 国立図書館 アメリカ 日本 学術データベース CiNii Books CiNii Research Related Articles