ヘンリー・パジェット (第4代アングルシー侯爵)
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第2代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット(1797年7月6日 – 1869年2月6日)と2人目の妻ヘンリエッタ・マリア(Henrietta Maria、旧姓バゴット(Bagot)、1815年9月 – 1844年3月22日、サー・チャールズ・バゴットの娘)の息子として、1835年12月25日に生まれた[1]。
1857年3月20日、スタッフォードシャー・ヨーマンリー連隊のコルネット(少尉)に任命された[2]。1859年10月11日に大尉に[3]、1874年10月3日に少佐に昇進した[4]。その後、名誉中佐への昇進を経て、1884年6月15日に正式に中佐に昇進した[5]。さらに名誉隊長(大佐)に昇進するが、1886年12月29日に引退[6]、1887年3月5日に改めて名誉隊長に任命された[7]。1873年5月4日、スタッフォードシャーの副統監に任命された[8]。
1880年1月30日に異母兄ヘンリー・ウィリアム・ジョージが死去すると、アングルシー侯爵位を継承した[1]。
1883年時点でスタッフォードシャーに17,500エーカーの、アングルシーに約10,000エーカーの、ダービーシャーに約1,500エーカーの、ドーセットに約1,000エーカーの領地を所有し、合計で年収約110,000ポンド相当だった[1]。
1883年10月10日にRoyal Naval Artillery Volunteersリヴァプール旅団の名誉大尉に任命され[9]、1886年12月24日に指揮官(Lieutenant Commanding)に任命された[10]。
1885年7月28日、北ウェールズ海軍次官およびカーマーゼン海軍次官に任命された[11]。1891年5月13日、Rifle Volunteer Corpsの名誉隊長に任命された[12]。ほかにもロイヤル・ウェルシュ・フュジリアーズの志願兵第2大隊の名誉隊長を務め、1897年5月26日に第3大隊の名誉隊長に転じた[13]。1896年までに聖ヨハネ勲章ナイト・オブ・グレースを授与された[14]。
長い闘病生活を経て、1898年10月13日にプラス・ネーウィズで死去、スランエドウェンで埋葬された[1]。息子ヘンリー・シリルが爵位を継承した[1]。
