ヘンリー・フィッツクラレンス

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ジェームズ・ギルレイの風刺画『一家で散歩』、1797年、大英博物館蔵。クラレンス公ウィリアムと妾のドロシー・ジョーダンの内縁関係を描いている。クラレンス公が曳くカートには3人の子が乗っており、この時点で生まれていた長男ジョージ、次男ヘンリー、長女ソフィアを描いたものである。

ヘンリー・エドワード・フィッツクラレンス英語: Henry Edward FitzClarence1795年3月27日 - 1817年9月)は、イギリスの陸軍軍人。

クラレンス公爵ウィリアム王子(のち国王ウィリアム4世)と女優ドロシー・ジョーダンとの2番目の非嫡出子として生まれた。

陸軍に入隊し、1811年に中尉に進む[1]。兄ジョージも陸軍に属しており、兄とともに半島戦争に従軍した。イングランドに帰国後、兄や他の士官24名とともに上官のジョージ・クエンティン英語版大佐を職務懈怠を理由に告発した[2]。しかし軍法会議では逆にクエンティン大佐の潔白が判明し、告発をでっち上げた兄弟や他士官は非難された(兄弟を除く他士官らは軍籍を剥奪されている[2])。

以後はインドに駐屯する部隊に飛ばされ、1813年に第15軽騎兵連隊英語版[3]、翌年には第22軽騎兵連隊英語版に属した[4]

1817年9月、生涯未婚のままインドで死去した[2][5]

注釈

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