ヘンリー・ベレスフォード (第3代ウォーターフォード侯爵) From Wikipedia, the free encyclopedia ロバート・ソアバーン(Robert Thorburn)による肖像画、1840年。 第3代ウォーターフォード侯爵ヘンリー・ド・ラ・プア・ベレスフォード(英語: Henry de la Poer Beresford, 3rd Marquess of Waterford KP、1811年4月26日 – 1859年3月29日)は、アイルランド貴族。1824年から1826年までティロン伯爵の儀礼称号を使用した[1]。 ウォーターフォード侯爵夫人ルイーザ。フランシス・グラント画、1859年/1860年。 第2代ウォーターフォード侯爵ヘンリー・ベレスフォードとスザンナ・ハッシー・カーペンター(Susannah Hussey Carpenter、1784年7月15日 – 1827年6月7日、第2代ティアコネル伯爵ジョージ・カーペンター(英語版)の娘)の次男(長男ジョージは早世)として、1811年4月26日にメリルボーンのマンスフィールド・ストリート(Mansfield Street)で生まれた[1]。1826年7月16日に父が死去すると、ウォーターフォード侯爵位を継承した[1]。1824年から1829年までイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1829年10月21日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]。 オックスフォード大学では素行によりすぐに自主退学を勧告され、それに従った。その後の10年ほどは「競馬場、狩り場、警察署でよく見かけられた」[注釈 1]という[2]。軽罪で起訴されることも多かったが、刑罰となる罰金の額は所詮は労働者階級に向けた刑罰であり、ウォーターフォード侯爵が笑って支払えるほどの金額だった[2]。1838年には「バネ足ジャック」の正体であると噂された[2]。 1842年6月8日、ルイーザ・ステュアート(初代ステュアート・ド・ロスシー男爵チャールズ・ステュアート(英語版)の娘)と結婚した[1]。結婚を境に放蕩した生活を改めると、度々逮捕されるようなことはなくなり、代わりに領地管理に集中した[2]。ただし、引き続き数百頭の馬を保有し、狩猟の季節では1週間のうち6日も狩りに出かけた[2]。 1845年1月4日、聖パトリック勲章を授与された[1]。 1859年3月29日、狩猟中の落馬事故により死去した[1]。弟ジョン(英語版)が爵位と遺産を継承した[1][2]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 訳注:競馬場と狩り場は競馬と狩猟を頻繁に行うことを指し、警察署は軽罪で度々逮捕されたことを指す。 出典 1 2 3 4 5 6 7 Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 71–72. 1 2 3 4 5 6 7 Reynolds, K. D. (23 September 2004). “Beresford, Henry de la Poer, third marquess of Waterford”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。) ↑ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 99. アイルランドの爵位 先代ヘンリー・ベレスフォード ウォーターフォード侯爵1826年 – 1859年 次代ジョン・ベレスフォード(英語版) 典拠管理データベース 全般VIAFWorldCat国立図書館ドイツ Related Articles