ヘンリー・ペロネ・ブリッグス

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生誕 1793年
イギリス、Walworth, London
死没 1844年1月18日
イギリス、ロンドン
ヘンリー・ペロネ・ブリッグス
Henry Perronet Briggs
ヘンリー・ペロネ・ブリッグス作「スペイン人とペルー人の出会い」(1827)
生誕 1793年
イギリス、Walworth, London
死没 1844年1月18日
イギリス、ロンドン
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ヘンリー・ペロネ・ブリッグス作 チャールズ・ケンブル英語版(俳優)の肖像画
火薬陰謀事件の発見』 (1823年頃)

ヘンリー・ペロネ・ブリッグス 1793年 - 1844年1月18日英語: Henry Perronet Briggs)は、イギリスの肖像画家および歴史画家である[1][2]

イングランドのダラム州ウォルワース英語版に生まれる。従姉に王立芸術院教授のジョン・オーピーの妻であるアメリア・オーピーがいる(ブリッグスはのちにジョン・オーピーの肖像画を描いている)。エセックス州エッピング英語版の学校に在籍中、ジ・ジェントルマンズ・マガジン英語版に2点の版画作品を送っており、1811年に王立芸術院の生徒として入学する。王立芸術院は彼が1814年に作品展示を開始した場所である。それ以降から没するまで英国芸術振興会英語版だけでなく、年に1度行われる芸術院の展示会にもずっと出品し続け、彼の絵画の殆どが歴史に纏わる題材であった。1832年の王立芸術院会員選出後、彼の関心の殆どは肖像画へと移っていった。

1844年1月18日、ロンドンにて結核のため50ないし51歳で没する。その後、バークリー広場英語版ブルートン通り英語版にある自宅への賃貸借契約権を肖像画家のトーマス・ヘンリー・アイリッジが購入した。

ブリックスの従弟である英国王立薬剤師協会英語版の創設者であるジェイコブ・ベルは子供の頃に芸術家から絵画の授業を受けていた。ベルは数枚の芸術作品を依頼、その人脈がブリックスにジョン・オーピー(ジョン・ベル・アンド・カンパニー)[3] や聖ウィルフリッド/聖ヒルダ支援協会の初代会長であるウィリアム・アレン英語版の肖像画を描かせることを可能にしたのである。またブリッグスは協会会員証のデザインも担当した[4]。画家のトーマス・フランシス・ディックシーはブリックスの門下生であった。

作品

脚注

外部リンク

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