ヘンリー・ペロネ・ブリッグス
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イングランドのダラム州ウォルワースに生まれる。従姉に王立芸術院教授のジョン・オーピーの妻であるアメリア・オーピーがいる(ブリッグスはのちにジョン・オーピーの肖像画を描いている)。エセックス州エッピングの学校に在籍中、ジ・ジェントルマンズ・マガジンに2点の版画作品を送っており、1811年に王立芸術院の生徒として入学する。王立芸術院は彼が1814年に作品展示を開始した場所である。それ以降から没するまで英国芸術振興会だけでなく、年に1度行われる芸術院の展示会にもずっと出品し続け、彼の絵画の殆どが歴史に纏わる題材であった。1832年の王立芸術院会員選出後、彼の関心の殆どは肖像画へと移っていった。
1844年1月18日、ロンドンにて結核のため50ないし51歳で没する。その後、バークリー広場のブルートン通りにある自宅への賃貸借契約権を肖像画家のトーマス・ヘンリー・アイリッジが購入した。
ブリックスの従弟である英国王立薬剤師協会の創設者であるジェイコブ・ベルは子供の頃に芸術家から絵画の授業を受けていた。ベルは数枚の芸術作品を依頼、その人脈がブリックスにジョン・オーピー(ジョン・ベル・アンド・カンパニー)[3] や聖ウィルフリッド/聖ヒルダ支援協会の初代会長であるウィリアム・アレンの肖像画を描かせることを可能にしたのである。またブリッグスは協会会員証のデザインも担当した[4]。画家のトーマス・フランシス・ディックシーはブリックスの門下生であった。

