ヘンリー・ボイル (初代シャノン伯爵)
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ヘンリー・ボイル(初代オーラリー伯爵ロジャー・ボイルの次男)とメアリー・オブライエン(初代インチクィン伯爵マロー・オブライエンの娘)の次男として生まれた[1]。大同盟戦争中の1693年に父がフランドルで戦死、1705年に兄ロジャーが未婚のまま死去すると[1]、キャッスルマーターでの領地を継承した[2]。
1707年、ミドルトン選挙区から出馬して庶民院議員に当選、1713年にキルマーロック選挙区、1715年にコーク・カウンティ選挙区に転じ、以降1756年まで同選挙区の議員を務めた。1733年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命され、同年にアイルランド庶民院議長に選出された後、さらにアイルランド財務大臣に任命された[2]。以降は絶大な影響力を誇り、アイルランド庶民院におけるホイッグ党の指導者になった[2]。
1753年に政府がアイルランドの財政黒字を転用する議案を提出したとき、ボイルは議案に反対して人気を得たが、政府に反対した廉で公職を解任された[2]。政府との交渉の結果、ボイルは1756年に庶民院議長を辞任する代償として、同年4月17日、シャノン伯爵、バンドンのボイル子爵、キャッスルマーター男爵に叙された[1][2]。さらに2千ポンドの年金をむこう31年間受け取る権利を与えられた[2]。以降はアイルランド貴族院で活動した[2]。
人物
イギリス首相ロバート・ウォルポールはボイルを「アイルランド庶民(院)の王」(the King of the Irish Commons)と称えたという[2]。一方、ホレス・ウォルポールは「愛国心を爵位のために売り渡した、凡庸な人物」(a more common character, he having sold his patriotism for a peerage)とこき下ろした[3]。
