ベティ・グレイブル
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| ベティ・グレイブル Betty Grable | |
|---|---|
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1950年代に撮影 | |
| 本名 | Elizabeth Ruth Grable |
| 生年月日 | 1916年12月18日 |
| 没年月日 | 1973年7月2日(56歳没) |
| 出生地 | ミズーリ州セントルイス |
| 国籍 |
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| 職業 |
女優 モデル |
| 配偶者 |
ジャッキー・クーガン(1937-1939) ハリー・ジェイムス(1943-1965) |
| 著名な家族 |
ヴィクトリア・フランシス(娘) ジェシカ(娘) |
| 主な作品 | |
| 『百万長者と結婚する方法』 | |
ベティ・グレイブル(Betty Grable、本名:Elizabeth Ruth Grable、1916年12月18日 - 1973年7月2日)は、アメリカ合衆国の女優。ミズーリ州セントルイス出身。
プライベート
姉が1人と兄が1人の末っ子[1]。しかし兄は2歳になる前に亡くなる。母親が芸能界入りを熱心に勧め、1929年に映画デビュー。当時13歳だったが、母は娘の年齢を15歳と偽ったという。翌年サミュエル・ゴールドウィンと契約し、コーラスのゴールドウィン・ガールズのメンバーになった。その後RKO、パラマウントへ移籍するが脇役やB級映画への出演が続く。
パラマウントとの契約終了後、ブロードウェイでエセル・マーマン主演のミュージカル「デュバリーは貴婦人」に出演し[2]、好評を得た。この舞台を見ていたダリル・F・ザナックにスカウトを受け20世紀フォックスに入る。アリス・フェイが病気で降板した「遥かなるアルゼンチン」(1940)に代役で起用され、映画は大ヒットしグレイブルの人気も急上昇した。
第二次世界大戦中は1番人気のピンナップガールで、百万ドルの脚線美と謳われた。トップテン・マネーメイキングスターに10年連続(1942年〜1951年)でランクインするなど絶大な人気を誇った。全盛期が戦時中だったこともあり、日本では劇場未公開に終わった出演作も多い。
「紳士は金髪がお好き」(1953)は元々グレイブル主演の企画だったが、フォックスと契約で揉めていたため代わりにマリリン・モンローが出演。モンローとは次作「百万長者と結婚する方法」で共演している。1955年に映画から引退した後は、夫のハリー・ジェイムスと共にラスベガスのショーへ出演したり、「ハロー・ドーリー!」のロングラン公演に登場している[2]。
結婚は2回。最初はジャッキー・クーガンと1937年にしたが1939年に離婚。バンドリーダーであったハリー・ジェイムスとの2回目の結婚は1943年から1965年まで続き子供を2人もうけた。