ベネディクト・レーツル
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現在はチェコのHoroměřiceに庭師の息子に生まれた。13歳から庭師の訓練を受け、ヨーロッパ各地で、庭師として働いた。ヘントの園芸学校の主任を務めた後に、1854年に初めてメキシコに渡り栽培園を開いた。1867年に、ヘンプ(大麻繊維)やラミー(苧麻繊維)の洗浄する機械を開発するが、1868年にキューバのハバナでのデモンストレーションを行った時に、事故を起こし左腕を失った。その後は義手をつけて暮らした。30年間にわたって南北アメリカのランを収集、栽培しヨーロッパへ輸出する仕事を行った[1]。イギリスのラン研究家で種苗商のサンダー(Henry Frederick Conrad Sander)が協力者となった。たとえば1869年には、ペルーやコロンビアやベネズエラの10,000本以上のラン(多くは航海中に枯死したが)をロンドンの取引所に送った。取引所で高価で取引された、白いカトレア(Rhynchostele cervantesii)などのランの収集を行った。800種を越えるランの採集を行い、オンシジューム属のシノニムであるRoezliella属やMiltoniopsis roezliiなど40を越えるランの種やザミア科の種、Zamia roezliiやオオバコ科の種、Penstemon roezliiにレーツルの名前がつけられた。
