ベルンハルト・ケーラー
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略歴
ベルリンで商人の家に生まれ、ベルリンで育った。1876年にベルリン・クロイツベルクにケーラーは機械工場(Mechanische Werkstätten)を設立して成功し、多額の財産を築いた[1]。
美術品の収集を始め、姪のエリザベート・ゲルハルトが交際していた画家のアウグスト・マッケやその友人のフランツ・マルクと知り合った。1909年にエリザベートはマッケと結婚し、ベルンハルト・ケーラーはマッケの後援者となり、パリに旅する費用を支援し、1910年以降、ケーラーは貧しいフランツ・マルクに定額の資金を支援した。経済的支援の見返りとして、マッケとマルクの両方から何点かの絵画を受け取った[2]。
1911年に、ミュンヘン新芸術家協会の芸術家たちと知り合った。ミュンヘンの美術家グループ「青騎士」の機関誌『Der Blaue Reiter』の出版資金を提供し、1913年には美術評論家、画廊経営ヘルヴァルト・ヴァルデンやアウグスト・マッケ、フランツ・マルクによって企画され、当時の前衛美術の作品を展示した大規模な展覧会「最初のドイツ秋季展」の資金提供者になった[3]。1914年にフランツ・マルクのチュニスへの旅行の資金援助を行った。
1927年にベルリンで亡くなった。
ケーラーの美術コレクションはベルリンの実家にあったが1927年にケーラーの没後、同名の息子(Bernhard Koehler: 1882–1964)が相続した。1920年代末に何点かの絵画が売却され、第二次世界大戦中に工場や家族の家が破壊された時に何点かの絵画が失われた。より重要な絵画の何点かはベルリン旧国立美術館に収蔵され、戦争終結時にロシアに持ち去られた[4]。残されたいくつかの作品は、ミュンヘンのレンバッハハウス美術館に所蔵されている。
かつてベルンハルト・ケーラーが収集した作品
- フィンセント・ファン・ゴッホ、「サント=マリーの漁船」(1888)
現エルミタージュ美術館蔵 - ポール・セザンヌ、「サント・ヴィクトワール山」
現エルミタージュ美術館蔵