ベン・ジョンソン (陸上選手)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | ベンジャミン・シンクレア・ジョンソン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 種目 | 短距離走 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1961年12月30日(64歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生誕地 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 175cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 77kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 編集 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベンジャミン・シンクレア・"ベン"・ジョンソン(Benjamin Sinclair "Ben" Johnson, 1961年12月30日 - )は、ジャマイカ出身でカナダ国籍の陸上競技短距離走選手。ジャマイカ北西部トレローニー教区ファルマス出身。
母親がカナダへ移民した4年後に本人も移民し、コーチのチャーリー・フランシスからスカウトを受け、陸上競技のトレーニングを始める。1984年ロサンゼルスオリンピックに出場し、カール・ルイス(アメリカ)が優勝した100mと、4×100mリレーで銅メダルを獲得した、この頃のジョンソンは目立つ選手ではなかったが、翌年から次第に成績を上げ始める。
1985年にはスイスのヴェルトクラッセチューリッヒ男子100mでカール・ルイスに初めて競り勝ち、平地での100m当時の世界最速である9.95もマークし注目されだすようになった。1987年の世界選手権男子100mでは、ルイスを破って9秒83の世界新記録(当時)を樹立し[注 1]、ルイスのライバルとして広く認知されるようになった。この記録は当時、高地で作られた世界記録を平地で破った点でも注目された[注 2]。後半型のルイスに対し、ジョンソンは低い姿勢で序盤から最高速を出す「ロケットスタート」を得意としている前半型の選手であった。イタリアのスポーツ用品メーカーであるディアドラのスポンサーが付き、日本でも、次の東京世界選手権のヒーロー候補として、共同石油(現・ENEOS)のCMに出演するほどの人気になった。
1988年ソウルオリンピックでは、1次予選、2次予選と調子が上がらず、カール・ルイスが2次予選で9秒台を出したのに対し、ジョンソンは2次予選では着順ではなくプラスで拾われるなど、ジョンソン危うしの見方をする人が多かった。しかし、翌日の準決勝ではルイスとは別の組ではあるが2着を引き離す余裕の1位で通過し、一騎打ちの様相を呈した。それでも、すでに2度9秒台を出しているルイスがやや有利かと思われた決勝であったが、ジョンソンは、スタートから他を圧倒的に引き離す走りで9秒79と、自身の世界新記録(当時)を更新して優勝した。しかし、その2日後、筋肉増強剤「スタノゾロール」の使用によるドーピングの陽性反応が出たことで、世界記録と金メダル剥奪という世紀のオリンピック追放劇が起こった。
旅行中にローマのベネト通りで空腹を訴える様子の中年女性と少女が近付き、中年女性と話している隙に財布(約1000万リラと免許証入り)を少女に盗られ、全速力で追いかけたものの、捕り逃がしてしまったことがあった[1]。
現在の仕事はスポーツインストラクター。
日本のバラエティ番組の企画にしばしば呼ばれることが多い。しかし、いずれもスポーツバラエティではなくお笑い色の強い番組である(例『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』、『クイズ☆タレント名鑑』などの藤井健太郎プロデュースの番組、『水曜日のダウンタウン』)。
2010年8月1日、日本のテレビ番組『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系列)の企画で、100mのタイムを計測した。48歳という年齢の上に体重も100kgと往年の面影はなかったが、予想を上回る11秒50という好タイムを記録した。
人物
- 1937年に国際陸上大会の100メートル走で当時の世界記録となる10秒2を出すも追い風参考記録として正式には認定されなかったアメリカ出身のベン・ジョンソンがおり、バラエティ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でこの事実を教えられた際に、同姓同名の選手が記録を認定されなかったことは知らず、アメリカ出身のジョンソンの追い風参考記録のレースとは別の映像を見て、腕の振り方がよくないことを指摘していた[2]。