同条約を批准したスウェーデン国王グスタフ・アドルフは、本条約を盾にプロテスタント諸侯に通告するが、当初は相手にはされなかった。しかし1630年から翌1631年まで続いたマクデブルクの戦いは、皇帝軍の略奪と虐殺に及んだ。結果として北ドイツのプロテスタント諸侯はこぞってスウェーデンへの同盟締結へと至る事となった。フランスは5年間スウェーデンに支援し続けた。スウェーデン軍が戦闘を継続して来られたのも、フランスからの支援を始め、国外からによる軍事費調達が殆どであった。この様な戦時財政は、スウェーデンの勝利による信用の賜物であった。この状況を指してグスタフ・アドルフは、「戦争が戦争を育む」と表現した。
1634年以後、戦況が皇帝側に傾くと、軍事同盟は1635年にリシュリューとスウェーデン宰相オクセンシェルナによって更新された。そしてこの同盟締結によって、フランスは本格的に三十年戦争に介入するのである。この時もフランスはスペインに宣戦布告し、1659年まで続くフランス・スペイン戦争(西仏戦争)を開始するが、戦場は主に神聖ローマ帝国(フランス・スウェーデン戦争)であった。そしてスウェーデン軍は、皇帝軍との戦いを継続する。こうした両国の連携は時として不和を招く事もあったが、結果として三十年戦争の大勝利として帰結した(1648年、ヴェストファーレン条約)。スウェーデン側にとり、フランスとの同盟は有益なものであったが、その最大の魅力は軍事資金の援助であった。しかしこうした同盟政策は、後年スウェーデン外交にとって悪影響を及ぼす結果となり、1670年代に至るまでフランス外交に翻弄され続ける事となった。