ペイン・イン・マイ・ハート
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| 『ペイン・イン・マイ・ハート』 | ||||
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| オーティス・レディング の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 1962年(#4, #7)、1963年6月(#11)、1963年9月(#1, #9)、1964年1月(#2, #3, #5, #6, #8, #10, #12)[1] | |||
| ジャンル | R&B、ソウル | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | アトコ・レコード | |||
| プロデュース | ジム・スチュワート | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
| オーティス・レディング アルバム 年表 | ||||
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『ペイン・イン・マイ・ハート』(Pain in My Heart)は、オーティス・レディングが1964年に発表した初のスタジオ・アルバム。
レディングは1962年8月にスタックス・レコードとの契約を得て、同年10月にデビュー・シングル「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」(Volt 103)を発表し[5]、翌年にはBillboard Hot 100で85位、『ビルボード』のR&Bシングル・チャートで20位を記録した[4]。続いて1963年には「我が心の糧」(Volt 109)が発表され[1]、R&Bシングル・チャートで27位に達したが[4]、同シングルのカップリング曲「Mary Had a Little Lamb」は本作に収録されなかった[1]。
「ペイン・イン・マイ・ハート」は、アラン・トゥーサンがアーマ・トーマスに提供した曲「Ruler of My Heart」のリメイクで[6]、本作に先がけて1963年11月にシングル(Volt 112)として発表され[1]、1964年にはBillboard Hot 100で61位に達した[4]。
反響・評価
本作はアメリカのBillboard 200で103位に達した[4]。また、1964年4月24日には「セキュリティ」(Volt 117)がシングル・カットされ[1]、Billboard Hot 100で最高97位を記録した[4]。イギリスではオリジナル・リリース当時はヒットしなかったが、1967年には全英アルバムチャートで28位を記録した[3]。
Bruce Ederはオールミュージックにおいて5点満点中4点を付け「当時まだ22歳で、デビュー・シングルから2年後にして、驚くべき力強さ、エナジー、大胆さを発散しているが、後のレコードと比べると、まだまだ抑え目である」と評している[2]。ローリング・ストーンズは1965年1月15日発売のアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』において、レディングのヴァージョンに基づく「ペイン・イン・マイ・ハート」をカヴァーしている[7]。